December 2016

December 23 Friday 2016

書きそびれたネタたち

テクスト分析にコーパス言語学や自然言語処理の知見アレコレを導入してどーのこーの、というのが私のやりたいことなのですが、何やら予想外に激しくキッパリした抵抗に合うという経験をしてきました。で、その「抵抗勢力」(?)を無視して突き進める力は全然持ち合わせていないため、色々人生が座礁して今に至る、と。

それでも根が真面目なので(←!)一応彼らの言い分を自分なりに再構成しつつ分析して妥協点を探ったり、それと並行して数学方面のアレコレみたいなことについても再学習(?)のようなことをしていました。嫌々取り組んだことでしたが、それなりに視野が広がった感じもあります。

備忘録的にそうしたことどもをここに書きとめようとは思いつつ、よく見知っている分野ではないので分かったつもりで何か酷い勘違いをしているのかもしれない不安が常に付き纏い、根が真面目なため(←!!)その確認作業が済むまで...とかウダウダしているうちに幾星霜。

しかし忘却力の酷さは年々増大中でもあり、メモでも何でもとにかく残しておいた方が良い気がするので生煮えの感じでとりあえず項目だけ列挙しておきまする。

「dy/dx」は分数か否か論争
菊川怜が解いた積分について
△自己相似形による「ギャンブラーの錯誤」解説
△非現実すぎて理解を阻害する例示
△漸化式とマルコフ連鎖
△清水のUFO大作戦
△掛け算を幾何的に示す方法

これらは「言語の本体は文法であり、文法は論理であるから、言語も論理である」という考え方に対処しようとして勉強(?)していた中で関心を持ったりして考察したことです(←割とそうでもないのも含まれてる気が...:汗)。数学と論理と自然言語の間にあるアレコレに関すること、とも言えるかもしれません。

巷を騒がしている「掛け算の順序固定強要問題」なんかの根底にも「言語の本質は論理であり数学の本質も論理だから両者には対応関係が成立しており相互変換も可能でなければならない」という信念がありそうです。またこの信念からは「論理や数学も言語と同様に相対的なもので主観を逃れた客観的真理などは存在し得ない」および「言語も論理や数学と同様に客観的真理に基づく自然科学の対象である」という相反する主張が生じているのを観測できます(←後者の立場(=生成文法派)から見た前者(=言語相対論)への執拗な攻撃について以前書いたことがあります...)。しかし両者のうちどちらが正しいのか?を問うことに意味があるとも思えません。この現象(?)は単に「言語と論理や数学は似ていない」というシンプルな事実を示唆しているだけではないでしょうか。

数学の歴史では、数学で扱う概念や操作の手法そのものの発展と並んで、表記法の改善が試みられてきたようです。最初は自然言語(と作図)しか表記に使える手段がなく(←漢字文化圏にいるとピンと来ないのですが古代ギリシアでは数字を表す専用の記号さえ存在せずアルファベットで代用し、しかもその割り当ては最初の9文字で1から9を、次の9文字で10,20,30,という感じで90までとかとか非効率の極み...:汗)そのため数学で扱う概念や論理それ自身とは別の記号システム(である言語など)の影響を強く受けて思考が混線する状況があった。つまり自然言語の影響からいかにして離脱するか、というのは数学の発展において重要な取り組みだったと言って良いでしょう。

同様のことは論理にも言えて、数学で開発されたものを導入する形で自然言語による制限から(数学は16世紀、論理学は19世紀ぐらい?に)脱しました。で、その後は数学と一体化(?)しつつそれまでの停滞が嘘のように解消されて高度化していったのですから、いかに自然言語が悪影響を与えていたかがわかります。それにしてもアリストテレスの時代とブールやカントールまでの間に行われて2000年以上にわたり営々と積み上げられてきた膨大な研究には(純粋?に記号論理学的観点?から見たら...ということですが:汗)ほぼ全く意味がなかった、というのも切ない。文化史や思想史的には有意義な資料になるんでしょうけど。

以下、上で示した項目について簡単にコメントしておきます。

「dy/dx」は分数か否か論争

算数や数学教育で学習者の理解を促進するどころか混乱させる原因になっているような教え方が多数ある、というような話を垣間見ます。そのうち微積分に関するもので「dy/dx」を分数と捉えてはならず、読み方も「ディーエックスぶんのディーワイ」ではなく「ディーワイディーエックス」としなければならない、というのがあるのだとか。

そもそもdy/dxが何だったのか、を思い出してみると(←なにせ高校数学プラスちょびっと独学分くらいしか手の内がない文系ちゃん脳で書いているので、まあ、すんまそん...)たぶん関数y=f(x)の「微分係数(differential coefficient)」を要素とする集合である変数です。雑に説明すると「独立変数xの変化量と、それに対応した従属変数yの変化量の比の極限値」ということかと。

もとの関数y=f(x)の独立変数xを流用(?)しつつ、dy/dxをそれに対する従属変数とする新たな関数をもとの関数に対する「導関数(derived function)」と呼びます。式として書けばdy/dx=g(x)ということですが普通はdy/dx=f'(x)というように書く(←「dy/dx」はライプニッツ方式でプライムを付けるのはラグランジェ流らしいっす...)慣わしです。で、関数y=f(x)の導関数y'=f'(x)を求めることを「関数y=f(x)をxについて微分する」という等々。

話がクドくなるのでε-δ論法とコミコミで以下に『数学は言葉』(新井紀子、2009)の誤植(?)疑惑ページ(p.141)を貼っておきますので、こんな感じということで(←!)。

>>

さて、話を戻します。

>> dy/dxを分数だと見なさないのはトンデモでは無いから(togetter)

bit.ly/2h7ksMT 今、すごく時間がないので、数日後にきちんといろいろ書こうと思っているのだけど、今\int(x/\sqrt{x^2+4})dx=(1/2)\int(1/\sqrt{x^2+4}))dx^2+4=sqrt(x^2+4)という答案が出てきてビックリした。dx^2+4はせめてd(x^2+4)と書いてほしいけど、そこを見逃せば間違ってないので正答ということに。(16 Dec 2016)

togetterまとめの冒頭に出てくるtweetから引用。ふたつの発言を繋げています。なお最初に出てくるリンクは「dy/dxは分数なのか否か?dx分のdyと読んでいいのかどうか?微積分をどう教えるべきか?どう認識すべきか?」というtogetterまとめへのものです。

発言中の数式部分がわかりにくいのでそれっぽい表記にしてみました。修正要求(?)の出ていた部分を反映させてあります。うーん、左端の式からどうして真ん中の式になるのかわからないし、それがどうやって右端の結果に繋がるのか理解できないのですが、確かにこれだとdy/dxが分数かどうかみたいな話と無関係に解けてますね。

ちなみに俺ちゃんのゆるふわ文系脳で解く(?)ならdxをdtで表す過程があるので分数っぽく扱う部分が入ってきます。その具体的アレコレを以下に書き出してみることにしましょう(なんか高校生っぽいですが:笑?)。確か「置換積分」とかいう方法です。

上記の結果をtで微分します。簡単のため右辺が正の場合だけを扱いますが負でも最終的な結果は同じです。

左辺分母...っぽいdt(←dx/dtが分数じゃないとすると分母とはいえませんもんね:汗)を右辺に移項するとdxをtとdtで表せました。

ここまでの結果を使って最初の式を次のように整理します。dxを積分記号の右側に書かれた式に掛けているひとつの変数のように扱って計算していますが「積分記号とdxは括弧のようなもので二つセットでひとつの記号」という(dy/dxは分数ではなくそれ全体で不可分なひとつの記号だ、というのと同一の場面でなされる)教え方とも齟齬があるような...。

これを積分します(←積分する前の式にあるt字をdtのt部分も区別せずx^2+4に置換するとtweetにあった式の真ん中のヤツになります...つまりこの程度の計算は脳内処理で済んでしまうわけか...)。簡単のため積分定数は省略しました。

一応tをx表記に戻して整理すると引用したtweetにあった正答と一致します。

で、この件についてどう考えるか、なのですが、まあ、数学的なことについて数学者の議論に口を挟むなどということはおこがましいので当然アレです、沈黙は金的な。それでもひとつ指摘しておきたいかな?と思えるのは、この論争(?)が「論理」対「数学(と物理)」みたいな構図になっている点です。なんか変な言い方ですが。

ええと、ときどき引用している『家庭の算数・数学百科』(数学教育協議会,2005)の数学者小伝コーナー(?)に小平邦彦という日本人で初めてフィールズ賞を受賞した大先生のことが載っているのですが、そこに気になることが書いてありました。

後年、日本に戻り、東京大学教授、学習院大学教授を歴任、数学界の重鎮として数学教育への発言も積極的に行い、数学教育現代化、とりわけ集合論の数学教育への導入に強烈な批判的論陣を張りました。(p.399)

小学生に集合論を教えてどうなるというのか、という話らしいです。たぶん1971年に実施された学習指導要領(←もっとも詰め込みだったヤツ)でそうなってたことを批判したのでしょう。この要領には「現代化カリキュラム」という俗称があるらしいので「強烈な批判的論陣を張」った対象である「数学教育現代化」というのは「現代化カリキュラムでの数学教育」という意味かと。

>> 「現代化カリキュラム」と「ゆとり」(早稲田塾)

例えば一時期は高校にまで遠ざけられ、今は中学で教え始めている算数・数学の「集合」を親世代は小学校で習っていました。高校1年で習った親世代の「数学機廚瞭睛討砲蓮∈の高校生が2年以上で習う内容が大幅に記載されていました(指数関数・対数関数など)。高校数学は「機廚濃実上学ぶ範囲の半分ぐらいまでカバーしていたのです。日本の発展のために教育は重要だ。そのためには欧米に並ぶ人材育成を少しでも早く「現代化」しなければならないという時代だったのです。

下線は引用者がつけました。ここで「親世代」と言われているのが「現代化カリキュラム」で教育を受けた世代のことです。下線部にあるように小学校で集合論をやってたんですね。まあ「集合論をやった」と言っても内容は色々なんだと思うんですが(←ていうか論理と集合はセットで教えないと全く意味ないから小中学生には無理ゲーぽい)。ちなみに「小平邦彦」「集合論」でググったら以下の研究報告がヒットしました。

>> 「数学教育はどのような順序で行うべきか」(若槻実,1977)

この中で引用されているのは「数学教育を歪めるもの (戦後教育はこれでいいのか)」(小平邦彦,1975)です。

「数学の教育は、数学の歴史的発展の順序に従って行うべきである。生物の個体の発生はその系統の発生を繰り返すが、数学の教育もそれと同様で、論理的に基礎的な概念よりも歴史的に早く現れた概念ほど子供にとってわかり易い。この順序を逆にして子供に教えようとすれば、その分野の本質的な部分は理解できないので、結局、非本質的なつまらない部分を教えることになる」「高等学校までに教え得る数学は18世紀に発展した微積分までであろう。したがって19世紀末にはじまった集合論を小学校で教えるなどとんでもない間違いである」「小学生には対角線論法も実数もわからないから、集合論の最もつまらない、どうでもよい部分を教えることになる。小学生に教える集合論は決して難しくはないが、それは集合論の最もつまらない部分だからである」

若槻(1977)に引用されている小平(1975)を三箇所抜き出してみました。最初のヤツは芳醇な(?)トンデモ臭がしていないこともないですが、あとの二つはまあ正論かな、と(←フィールズ賞の大先生やぞ!もっと敬意を持て!!)。二番目のヤツに従えば集合論は小学校どころか高校で教えてもダメということになりそうです。

そういえば最近(←過去二年以内の意:笑?)twitterで見た気がするのですが、どこかの大学で新入生用授業が集合論中心のカリキュラムになっていることを批判していました。そんなこと(?)やってる間に高校で勉強したことを全部忘れてしまって学生のほとんどが大学での数学についていけなくなっちゃう(?)みたいな感じで。

集合論は論理とほぼ同義(←ゆるふわ文系ちゃんから見て...ってことなのでホントは色々異論もあるのかも...)なので、新入生を集合論漬けにするというのは、それまで獲得してきた数学で使われる色々な概念を論理的に正確なものに定義し直させる試練(?)と思われまする。それは数学能力の飛躍に必要なんでしょうけど、残念ながらその過程で凡庸な学生は耐え切れずに潰れてしまう、と。で、各自の必要に応じてそれなりに道具として使えればいいだけなのに、なんでそんなことすんの?やめろや!という主張だったのかなあ...。

一人の人間が何かを認識するとき、最初から厳密に精密に一般的に見えるわけではない。次第に正確に精しく見え構造や関係がわかって来るのである。(中略)例えば微積分を教える場合、はじめから実数の連続性やε-δ論法を教えても微積分の本質は摑み難い。はじまった当時の微積分がそうであったように、余り厳密な事はいわずに、区分求積によって体積を求めたり、平均速度の極限として速度を求めたりして、その生まれた当時の姿を味わせ、しかる後厳密化一般化されたものを教えるべきであろう。勿論厳密化や一般化も数学の重要な仕事である事に違いないのである。

上記のように(←あ、下線は引用者がつけました:汗)若槻(1977)では具体例を出して小平(1975)の「歴史的発展の順序」で数学教育をすべきという主張の妥当性を認めます。ただ実際に数学各分野の「歴史的な位置づけ方」を規定するのは難しいよね、という面から否定していく感じ。ザッと見ただけなのでよくわかってませんけど。

ところで最初の下線部なんですが「実数の連続性」は微積分やる前に教えといて欲しかったなあ...と個人的には思わなくもありません。数列やってるときに組み込めるよね?的な。というか「変数」概念を獲得し損なっていた(←しかも自覚は無かった...こわっ!)せいで関連分野全般(←ほぼ数学全部とも言う...:涙)の理解がガッタガタで苦労した身としては「離散/連続」は最重要概念やんけ!(←ま、こういうのは個人差があるから誰にとっても良い順番なんて決めるの無理っぽい...それはわかるけども...)と主張したい。これはもっと曖昧な「数/量」区分という形で英語でも必要になるし。

そもそも数学界(?)における微積分というのは関数の性質を調べるツールであって(←しかも自身も関数だから微分を微分とか色々KUFUの幅が広い)そのノウハウと分析結果の集積が解析学なわけやん?(←ですよね?)なんでそういう一発で視界をクリアにする事実(?)を敢えて言わないわけ?いじめ?わけわからんよ。てか、小学校からこっちずーっと何らかの数学的対象(←図形とか方程式とか四則演算とか)の性質を調べる方法とその歴史的成果を学んできていたわけだから微積分もその延長上にある...くっそメンドイし計算がヤバイけど...と考えればいいだけじゃん。この点が腑に落ちてないと延々執拗に色々な関数を微積分する方法について学んでいく苦行の意味もわからんし。だいたい「関数とは?」みたいな根本すら曖昧だったしな。数学教育界はなにやっとったんや!(←あの人らにも色々事情があんねんて...←なっとくできん!!)

えーと、話があっちゃこっちゃいってますので戻します。二つ目の下線部にある「区分求積」法の説明でよく使われる「sum」の「s」から派生した二種類の記号を結んだ式(←Σはギリシア文字でsにあたる字だし∫はsを縦に伸ばしたもの...らしい)は積分を理解する上でスッゴクイイ!と思ってたのですが、なんか集合論=厳密論理の立場(←上で紹介したtogetterまとめに出てくる集合論の先生も主張)からはそれも否定されるらしくて結構ショック。

これは『数学は無限を創る』(リーバー,2013)に載っていたもの。他にも例えばググってみつけた「区分求積法の基本式」に以下の式があります。

参照先サイトにある式をそのまま写したんですが、なんか変ですよね...僭越ながら誤植(?)と判断して以下に修正版を。

で、リーバー(2013)はMidpointでやってますがこっちの式はUpper SumとLower Sumを意識したものなんでしょうか?(←質問か!) これらが一致していると「リーマン可積分」とかいうんでしたっけ?(←ウロか!!←文系ちゃんだから...ショーガナイネ)

揚げ足取りのように思われると困るのですが 定積分は【微小に分割して足し上げた結果】ではなく、その直感をリーマン和の極限という形で表現したものと考えます。その差は初学者相手でも、より高度な文脈では無視できても、触れるべきだと思います。(30 Dec 2016)

togetterまとめの集合論の先生の発言は上記のような感じ。引用に際して言及先へのリンクは割愛しています。「リーマン和」については以下が参考になるかも。

>> Riemann Sum(WolframMathWorld)

備忘録的に簡単にコメントしておくだけのつもりが混乱したまま長大になってしまったので、更なる考察とちゃんとしたまとめみたいなのは未来に託してブツ切りにしときます。すんまそん。ええと、それでも唐突にまとめ意見的なものは残しておきましょう。

dy/dxや微積分について(だけではなく数学全般において)教育上もっとも配慮しなくてはならないのは概念の獲得に貢献するような自然言語(など)での説明がどうあるべきかであって、自然言語(など)でもっとも正確にその概念を表現する(=定義する)にはどうすれば良いか、ではない。ただどのように説明すれば概念獲得がしやすくなるのかは学習者により個人差が(たぶん、かなり)あって一概には言えない。

自分に関していえば

「dy/dxはひとまとまりの記号」←微分方程式解くときパニクった
「∫とdxでひとまとまりの記号」←積分概念獲得に失敗した
「実数の連続性を教えない」←先述した通り
「ε-δ論法」←教えても教えなくてもどっちでもいい
「積分は微小に分割して足し上げた結果ではない」←たぶん混乱する

みたいな感じです。

菊川怜が解いた積分について

『おしゃれカンケイ』という番組の2005年2月27日放送回にゲストとして出演した菊川怜氏が数靴量簑蠅魏鬚ました(←1978年2月28日生まれだそうなので大学を卒業してから4年くらいは経過)。出題内容はホワイトボードに「次の定積分の値を求めよ」とあってその下に式が書かれているというものです。

菊川氏は「これはもう公式なので...パーッとやっちゃうと...」と言いながら難なく以下のように解いていきます。対数の底は明示されていませんが数靴任△(←日本の高校数学教育での慣習に従う)こと及び推定される出題者の意図からネイピア数eであると判断しているようです。

このあと司会者の「このぐらいだと現役だいぶ離れてるのにスッといけるんだ?」という問いに「公式なんとか覚えてればいけます」と答えました。それから「数学の魅力」について聞かれて以下のように話し出します。

この式だけだと全然つまらないんですよ、あの、理論背景がすっごく面白くって、それはもうすっごく理論的でクリアで一点の曇りも無いので、それがわかると、なんかパズルが解けたみたいな、こう、すっごく一個一個、しっかりした理論が面白くって、それでわかると、逆に暗記物とかって絶対暗記したりとかしないと、こ、答案でないんですけど、あれは全部理論がわかれば何にも覚えてなくても解けるから、そこが好きで

一方では「公式を覚えていたので解けた」的なことを言いつつ、上記発言下線部にあるように「何も覚えてなくても解ける」とも話しているため、相矛盾したことを述べているように見えます。しかも「あれは」のときに後ろを指差しているので「数学一般」の話ではなく番組で解いた問題のことを言っていると考えざるを得ません。

おそらく菊川氏は(この番組での姿だけから推察しても)思考速度と発話速度の間に相当の開きがある人物だと見受けられます。発話速度が思考速度よりも遥かに遅いため、コマ落とし映像のような話し方になってしまうのでしょう。ですから発言から欠落した部分を復元していけば「公式を使わないと解けないのに何も覚えていなくても解ける」の意味もわかってくるんじゃないかと思われます。

で、まずは「公式」を特定するあたりから。以降なんだか高校生の勉強ノート(笑?)みたいな話が続きます...。

「積の積分(部分積分)」公式と呼ばれるヤツです。左辺を積分した結果である右辺にまだ積分が残っているので「部分」積分と呼ぶみたい。

さて、解かねばならない式のx^{2}logxをx^2とlogxの積と見なして積分しようとする場合、それぞれを個別に積分してから単純に掛け合わせるという方法は使えません。微積分は「線形」という性質を持つので「和の微積分は微積分の和」なのですが「積の微積分は微積分の積」ではないからです。そのためこの公式が必要になります。

ところで、そもそもなんで「積の積分」とみなすのでしょうか。菊川氏はf'(x)=x^2およびg(x)=logxと公式に当てはめていますが、これによってlogxを積分しないで済んでいます(←代わりにlogxの微分を含む積を積分)。ここに動機がありそうですが、それを知るには対数の微分について確認してみないといけません。でもその件はとりあえず後回しにして、先に部分積分公式の成り立ち(?)の方を確かめます。

先述した公式のf(x)g(x)を左辺に移項して積分項(?)を右辺に固めました。更に「積分の和は和の積分」ということから右辺全体を積分する形にします。また左辺はf(x)g(x)の微分を積分していると考えることにします(←微分と積分は互いに逆関数なので...為念)。というわけで、なんと「積の積分」公式の本体(?)は「積の微分」公式だったんですね。

公式を導き出す過程を簡単に書き出してみました。2行目には通称「坊さんのロバ」(?)という小細工をしています。計算を整理しやすくするために何かを足して引く(←つまりプラマイゼロ)みたいな。元ネタは『今日から使える微積分』(大村平,2004)のp.63あたりです。「和の極限は極限の和」であると同時に「積の極限は極限の積」でもあるので一気にまとめて3行目のように整理できます。

こうしてみるとどうやら「積の積分」公式を詳細に覚えていなくても「積の微分」公式あたりから順に辿っていけば自力で導出できそうです。もちろん暗記していた方が話は早いので、ああいう番組で視聴者や他の出演者・スタッフに迷惑じゃない時間でサッと解くことを考慮して「公式なんとか覚えてれば」と言ったんじゃないでしょうか。そして時間や状況の制約が無いのであれば「理論がわかれば何にも覚えてなくても解ける」という話かと。

さて、一応頑張って対数の微分もやっときますか...(←謎の義務感:笑?)。大村(2004)のpp.38-40あたりを参考にしました。

対数でも普通(?)の関数を扱うときと同じに計算していきます。対数の差はそれぞれの引数(?)の商になるので(←大丈夫だろうかこんな表現で...:滝汗)2行目のようになります。4行目ではΔx/x=hと置いて全体を書き替えました。このときΔx→0ならばΔx/x=h→0なので極限の下のヤツ(←!)もそんな感じで変更しています。

5行目は極限の右側(?)を対数と1/hxの積と考えた上で1/hxを更に1/xと1/hに分割してから「積の極限は極限の積」ルール(?)によって1/xとその他に分割。対数の係数は引数の累乗になるのでそんな感じで処理。

この引数部分=「(1+h)の1/h乗」でhが限りなく0に近づいていくというのは「1に限りなく小さな正の値を加えたものを無限回累乗する」という意味になります(←補足:hが負の場合もあり、そのときは「1に限りなく近いけどちょっと小さい値を無限回かけたのの逆数」という意味になります...1/hが負になるからですね...)。えーと、このネタ(?)は折に触れて個人的にすっごくホッコリするなあ、と感じていてとっても好きです(←!)。無限力(むげんちから)の凄まじさと割とそうでもなさが同時に現れているといいますか...。ほぼ「1」を無理やり「2.71828...=e」までもっていくのは確かに凄いけど、でも2.7ちょっとか...無限なのに...みたいな(笑?)

対数の底がe(=自然対数)のとき引数が同じくeだと1になるので微分した結果は1/xというシンプルなものになります。これをうまく利用すればいつも計算が楽になるかどうかは知りませんが、少なくとも菊川氏のケースでは役に立っているようでした。

出題された式は非常にシンプルですが、それを解くにあたっては「理論背景」「すっごく一個一個しっかりした理論」といったものをわかっていなければならないことが確認できました。まさにおっしゃる通りという感じ。ただ「理論的でクリアで一点の曇りも無い」という部分についてはゆるふわ文系眼でみていることと面倒で端折った(←微積分が線形である証明、極限の性質についての証明、ネイピア数が出てくるところのアレコレ等々)ため傷だらけの磨りガラス状の視界で十分に確認できませんでしたが、それはこっちの問題なのでアレです。

ああ、あと、ついでというかこの番組で気になったことがあったのでオマケで書いときます。それは菊川氏が定積分について司会者に説明しているときに画面に出たテロップなんですけど...。

インテグラル…積分、または積分記号「」の呼称

なぜ案外誰でも見覚えのある「∫」記号とcontour integral専用のアレ(←こんな高度?な記号使ったことないナリ...)を取り違えたのか。司会者や他の出演者が大げさにバカっぽく振舞っていたのは演出かな?と思ってましたが、キャプションでこんなことする意味がわからなくてコワイ...。ちな以下参照。

>> Definition:Contour Integral(Proof Wiki)

とりあえずのまとめ

今回は微積分の話だけにしときます。次は...「清水のUFO大作戦」(←ググってみると「UFOベクトル」はヒットするものの、この単語は見つからない...記憶違いかも...:滝汗)について語るところから始めたい気がしてます。道民受験生が大昔に使っていたチート技なんですけろ。しかしこれはイイ!チートだったと思われます。文系ちゃんにも線形代数への道をチラと示す的な意味で。

で、微積分についてもまだ少々言い足りないので以下余力の許す限りダラダラ書く(←!)つもりです。結論の出てない話(←もちろん私の文系脳では...の意)なども含んで。

ええと、最初に言及した上記の式をもう少しコネコネしてみます。

積分する元の関数での従属変数(←コレのことも「関数」と呼ぶから混乱すると思うのですが...)の数式としての見かけは同じであっても独立変数の設定如何で関数の姿が変わることをラムダ式で確認してみました。微積分の対象は従属変数ではなくあくまで関数なわけですから微積分が可能かどうかも独立変数の設定によって変わります。それを「置換積分」などといって文字を置き換えて云々という話(←微分で使う「合成関数」での文字の置き換えなども同様)にするのは何か誤魔化しているとまではいいませんが、ある種の学習者(←例:俺ちゃん)の理解を大きく妨げるのではないか、と感じられました。本質的には関数の構造(?)を独立変数の設定変換で微積分可能なものに再解釈するという話なんですよね?

dxについても同様の意識(?)で調べてみると上記のようなことになります。1行目はx=xをxで微分してdxを求めています。2行目ではx=\sqrt{(x^2+4)-4}を(x^2+4)で微分しなければなりませんが根号(?)に阻まれて直接は微分できません。3行目のケースも同様です。

そこで根号を処理するために根号内(?)の数式と同様のものを使って微分します。その結果が2と3行にある二つ目の等号右の乗算記号で分けられた数式の左端ブロックです(←この説明で伝わります?)。同じ構造(?)の微分を行ったので比較すると係数と指数が一致しています。

右隣のブロック(?)はこのとき微分に使った単位(?)を例えば2行目なら(x^2+4)にあたる本来微分に使いたかった変数で微分した結果です。左端ブロックとその右隣の積が本来求めたかった微分結果になります。(dy/dt)(dt/dx)=(dy/dx)という「合成関数」の公式通り。一瞬「なんで微分の積なのにそのまま掛けてんの!!」と言いたくなりますが(←なりませんか、そうですか...)両者の違いは例えば以下のようなことです。

「積の微分」では微分に使っている独立変数は同一ですが「合成関数」では二種類が使われています。これに限らず同じ結果に至る異なった方法が存在することで微積分では苦難の少ないルート選択が可能になる(←苦痛の過多は程度問題のときも...)のですが、それにはたくさんパズルのような事例を解いて選択可能な手段の蓄積に励まなくてはなりません。そういうことが好きかそうでないかというのは習得に大きく影響するんだろうなあ...とパズル嫌いの自身を振り返って溜息をつくわけですけろ(←数学が得意な人は概ねパズル好きという気が...)

dxについてもラムダ式で独立変数に応じた構造(?)をまとめてみました。前のラムダ式によるまとめと合わせてみると実は独立変数を\sqrt{x^2+4}とした3行目が最も積分計算が楽になることがわかります。こんな感じで。

ところでここまでコネコネしてきた問題を菊川怜氏のように「積の積分」で解こうとしたらどうなるのでしょうか。その場合は最初の設定(?)でxと1/\sqrt{x^2+4}のどちらを微分済みと見做すかで2種類のルートが存在し得ます。

で、やってみた結果からいうと、まずそもそも論として「この問題で積の積分はヤメロ」です(笑?)。どのみち計算過程で「置換積分」は必要になるし。特に1/\sqrt{x^2+4}を微分済みと見做す(から積分しとかなくちゃならない)のはパズル好きには堪らない(←!)超くそルートと言ってよいでしょう。

>> 特殊な置換をする定積分(受験の月)

高校数学で登場する中で最高難度の積分パターンである

最高難度キタコレ。ちなみに上記はすばらしく参考になるサイトです。ありがとう&幸多かれ。で、ここで紹介されている方法を導入してまたラムダ式にまとめてみます。

新たに三種類の解釈(?)が加わります。なにしてくれてんの...といいたくなりますが(←確かに根号内多項式という積分の障害は消えてますけどね...)三つとも背景に「双曲線」を考えると腑に落ちることらしい。ちなみに「双曲線関数」は『関数のはなし 下巻』(大村平,1977)pp.200-208に「指数・対数・三角の大学院の巻」の一項目として出ていましたので少なくとも70年代末あたりでは大学どころか大学院で扱う内容だったみたいです。難度の問題ではなく単に優先順位が下で後回しにされていただけかもしれませんが。

中学校で習った比例・反比例のうち前者は一次関数、二次関数云々と発展(?)していきますが反比例(=双曲線)の方はあまり存在感がなかったような。思い出してみると数式で表せば例えばy=1/xみたいなもので、x=0のときyの値が存在し得なくて(←ゼロ除算になるため)グラフが二つに分裂(?)とかとか。

この双曲線と上で書いた三つの式がどう繋がるのかはピンときません。そこで次回(?)扱う予定の技術(←!)を使ってy=1/xを左45度回転して頂点(?)を(0,1)及び(0,-1)にもってくるように変換してみました。「奇関数」であったy=1/xをy軸で対称な「偶関数」に変換した、ということです。とりあえず何かしてみよう、ということで。

それっぽいものが出てきました。変換に使う行列部分を整理してy=4/xの場合を書くと次のようになり、頂点(?)が(0,2)と(0,-2)である双曲線を表していると思われます。

このケースでXをxで表すように変形してみましょう。

何やら見たようなものが。改行のあとついでに指数関数を使った方についても(その上の結果を再利用して)やってみました。ほぼ似たような理屈(?)が使われているようです。

さて、単位円がX^2+Y^2=1であるのと似て標準双曲線は-X^2+Y^2=1と表せるのだとか。このXとYに入れると丁度いいモノ(?)について考えます。

色々と適当に書き綴ってみました。2から4行目までが1行目のXとYに色々入れてみた結果(?)です。一見すると4行目は上2行と少し趣が違いますが1/cos(x)をsec(=secant、正割)に置き換えると(改行のみの行を除いて)8行目と同じ構成といえます。sinhはhyperbolic sineでcoshがhyperbolic cosineという双曲線関数ですが(指数関数、対数関数および三角関数といった他の初等「超」関数やマクローリン級数等々との係わり合いについて)深入りするのはまた今度(?)ということで。

一応最後のオマケ的に三角関数を使った超超メンドクセ版の積分をメモっておきます。まずはもともとの積分で分子(?)にxがあるヤツから。なんかゴチャゴチャにして語ってきましたがこのタイプは別に最難関じゃないんですよね。今まで見てきたように簡単に解くことも可能なわけですから。

途中ラムダ式内で独立変数をcos(w)に換えて積分を行っています。またここまでとくに言及していませんでしたがtan^{-1}というのはarctanのことでtanの逆関数の意味です。1/tanθということではありません。

そしていよいよ次が本当の(高校生にとっては:笑?)最難関問題を非推奨のメンドクサイ方法で積分したものです。途中スンナリいかない部分を色々な工夫で乗り越えています。最後のところで+log_e(1/2)という余計なのが目に付きますが、これは積分定数Cの中(?)に含まれるのでここまでのやり方に従えば表記せず無視すべきでしょう。なんとなく残しましたが。

上記積分で使った小技(?)や補足をちょっとだけメモ。ここまでコネコネやってみた感想をいえば、やはり微積分(特に積分)周辺はパズルっぽいな...つまり高校数学ではパズル耐性の有無が試されていたのかな?と思えまする。その先にいくとパズルが成立する条件みたいなものを扱う視点も必要になってくるようですけろけろ。

とりあえずそんな感じで。

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