December 2011

December 30 Friday 2011

『ハート・ロッカー』主人公の階級は?

今更ですが、ものすごくいいかげんに映画『ハート・ロッカー』を眺めました。つい最近の映画のような気がしていましたが、これって2008年の映画なんですね。気づかない間にずいぶん月日がたってしまったものです。

・・・いやいや日本公開は2010年ですね。そりゃそうか。いくらなんでもおかしいと思った(汗)。

で、感想はといいますと...批評だなんだという高尚(?)な話以前のレベルでよくわからなかった点が色々とあって、そこをまずなんとかしないといけません。たとえば主人公「ウィリアム・ジェームズ」の階級がよくわかりません。ググれば簡単にわかるかと思ったら諸説あるようなんですよ。奇妙な話ですが。

一番多いのは「二等軍曹」説です。たとえば下記のような。「映画批評家」と経歴にありますので専門家が書いた内容のようです。

>> 山口拓朗オフィシャルサイト

2004年の夏、イラクに駐屯する米陸軍ブラボー中隊に、ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)という新たなリーダーが赴任してきた。彼らの任務は爆発物処理。ジェームズはサンボーン軍曹(アンソニー・マッキー)とエルドリッジ技術兵(ブライアン・ジェラティ)とチームを組んで動くが、チームワークを重視するサンボーンとエルドリッジに対して、ジェームズはセオリー無視のスタンドプレーを連発する。次々と難局を乗り切っていく3人だったが……。

次に多いのが「一等軍曹」説です。引用は「古今東西あらゆるメディアに登場した銃火器データベース」をうたうサイトの関連項目から。

>> Media Gun Database

イラク戦争後のイラク国内。頻発する過激派による爆弾テロ。その爆発物処理を担当するイラク駐在米陸軍のブラボー中隊の任期終了まで38日に迫っていた。その中のマット・トンプソン二等軍曹(ガイ・ピアース)、J・T・サンボーン三等軍曹(アンソニー・マッキー) 、オーウェン・エルドリッジ特技兵(ブライアン・ジェラティ)の三人で構成される処理チームはある爆発物処理においてテロリストの罠にかかり、トンプソン軍曹が命を落とし、後任としてウィリアム・ジェームズ一等軍曹(ジェレミー・レナー)が赴任する。手順を無視して危険を冒しながらの処理を行うジェームズのやり方にサンボーンとエルドリッジは振り回されながらも三人は任期終了まで爆発物処理を行っていくが…。

あとは少なそうかと思ったけれど探してみると意外とあった「二等兵」説です。これも書き手は鈴木純一さんというプロの方で、日本映像翻訳アカデミーというところのサイトにあるコラムみたいです。

>> 戦え!シネマッハ!!!!

2004年のバクダッド。アメリカ軍の爆弾処理班に、873個の爆弾を処理した経験を持つジェームズ二等兵(ジェレミー・レナー)が赴任してくる。さっそく爆弾処理の任務を開始するジェームズ。複数の爆弾に囲まれて思わずつぶやく。

他にも探せばまだ色々な説があるのかもしれません(笑?)。しかしこれでは埒があかないので公式サイトをチェックしてみます。

>> 『ハート・ロッカー』公式サイト

>>

「二等軍曹」ってしっかり書いてありますね。と、いうことは「二等軍曹」で決まりか...。一応念のために本国の公式サイトも見ておきます。

>> The Hurt Locker Official Movie Website

>>

こちらも「Staff Sergeant」って書いてありますね。「Staff Sergeant」は通常「二等軍曹」と訳されます。公式サイトに書いてあるんだからこれはもう決まりか...とは思うのですが、信憑性があろうとなかろうとこういうのは結局「だれだれが言ってた」レベルの話であって「確証」にはなりません。映画内でそれに言及していたり示しているものを発見できないと決定とはいえないのです。

それと英語版Wikipediaや英語の映画情報データベースサイトなどでは「Sergeant First Class(一等軍曹)」と一貫して表記されているのも気になります。

そこで、さてどうしたものかと貧弱な軍関係脳内データベースを突っつき回してみると「米陸軍は野球帽でいえば球団マークが入っているあたりに階級章がついた帽子を被るはず」というのを思い出しました。ぼんやりした映画の記憶をたどってみると確かDVDを売ってるイラクの子どもとサッカーボールで遊ぶシーンでは帽子を被っていたような...。

と、いうわけで検索語に「サッカー」を入れてググったところイイカンジに階級章が映っている画像が見つかりました。

>>

濃い色の山形の線が上に3本。そして下方向に膨らんだ線が2本。これはどうみても「一等軍曹」の階級章です。いったいぜんたいどうなってるのか?すっかりわけがわかりません。

>> 米軍階級章

上は米軍階級章についてのリンクです。御参考まで。

以下にとりあえずまとめてみます。

ここまでの調査(?)結果から推察すると「二等軍曹」と書いてる人達は公式サイトの情報を参照した人なんだろうな、ということがいえそうです。「二等兵」と書いちゃった人達は「二等軍曹」という聞き慣れない語を(脳内補正で?)聞き覚えがあって同じく「二等」で始まる軍関係のことばである「二等兵」に変換してしまったんじゃないでしょうか。たぶん語学とかは得意でも軍関係の知識が著しく欠落しておられるとかとか。反対に「一等軍曹」と書いた人達は、実際に映画の中で目にする階級章が「一等軍曹」のものと一目でわかるほど軍関係の知識が豊富な方々なんじゃないかと思えます。

結論としては、映画内でそういう階級章をつけているのだから主人公ジェームズの階級は「一等軍曹」だ、というので良いのだと思います。日米双方の公式サイトが間違いを掲載していると断じざるを得ないという不可思議な現象がおきているのがひっかかりますが...。

班と中隊

さて、主人公ジェームズとその仲間たちは「elite Explosive Ordnance Disposal squad」というユニットを形成していて、いつも一緒です。elite のニュアンスをどう捉えればいいのかよくわかりませんが、残りは「爆発物処理班」でいいですよね。「爆弾」あるいは「爆発兵器」かもしれないですけど。いずれにせよ彼等は三人しかいませんし「squad(班)」なわけです。

ところで映画の画面には時折「ブラボー中隊の任務終了まであと何日」みたいな字幕が出ます。ジェームズの階級についてググっていたときに、この「ブラボー中隊」と主人公ら3人の「爆発物処理班」の関係を誤解している人がものすごくたくさんいることにも気づきました。あまりにもたくさんいることと文面がほとんど同じこと、それが「あらすじ」の中に書き込まれていること等々から「アヤシイ...」と思って日本版公式サイトで確認してみると、やはりその発生源がありました。

>>

「新しい中隊のリーダーに就任したウィリアム・ジェームズ二等軍曹」と書いてあります。これによって軍関係知識の無い人達が誤解して「爆破物処理班」=「ブラボー中隊」と思ってしまったようです。「新しく中隊の爆破物処理班リーダーに就任した...」なら意味は通りますが、そういう書き方にはなっていません。

>> 日本陸軍階級章

上記リンクは帝国陸軍の階級章についてのものですが隊の構成についても書いてくれています。もちろん現代の米国陸軍とは違いますが、大凡の見当はつくのではないかと。イメージしやすい例でものすごく大雑把にいえば小学校の1学級が1小隊です。1中隊は4学級から構成されますので1学年の半分くらいの人員ですね。なので僅か3名の「班」を「ブラボー中隊」なんて絶対に呼ばないんですよ。それに等級がどうでも軍曹のような下士官が通常の任務の中で中隊を指揮することもあり得ません。

A company is a military unit, typically consisting of 80-225 soldiers and usually commanded by a Captain, Major or Commandant. Most companies are formed of three to five platoons although the exact number may vary by country, unit type, and structure. Several companies are grouped to form a battalion or regiment, the latter of which is sometimes formed by several battalions.

一応 Wikipedia の company(=中隊)のところから引用しておきます。platoon は小隊、battalion は大隊、regiment は連隊のことです。何やら通常は中隊を大尉や少佐クラスのひとたちが指揮するみたいに書いてありますね。帝国陸軍では中尉が指揮しますが、あれは一般的ではなかったのか...。

あと米軍の「ブラボー」は「B」の意味で、要するに「第二中隊」といっているだけです。どこぞの連隊が全体としてどういうローテーションを組んでイラクに派遣する中隊を決めているのかは映画だけからはわかりませんが、とりあえず部分的には1年毎に前から順に交代しながら駐屯しているルーティンがあるらしいことはわかります。なのでブラボー中隊が任務終了で帰還したあとには代わりにチャーリー中隊(C中隊、第三中隊)が来ていたのでしょう。それから更に1年たってジェームズはデルタ中隊(D中隊、第四中隊)所属としてまたイラクに来るわけです。

それにしても軍隊についてあまりにも常識を欠いたまま(←私自身だってほとんど何も知らないレベルですから、それ以下というのは本当に全く何も知らないということです)この映画について堂々と意見を述べ、解説を書き、評価を下している人を多数見かけるのは気持ちのいいものではありません。たとえば企業内の人間関係を描いた映画を見て課長と係長の身分関係がどうなっているのかとか、秘書や受付がどんな仕事をしているか程度の知識すらなくて批評するなんてことは考えられませんよね?

革新的で常識破りな行動をとり成果をあげるAという人物に対してBという人物が態度を改めるように求めている場面があったとします。このときAとBのどちらが上役か(あるいはそもそも上下関係にない等々)によって、それら人物をどう評価すべきかは当然変わってくるはずです。

軍曹=三等軍曹

主人公ジェームズ一等軍曹(←たぶん:笑)はサンボーン軍曹よりも階級が上です。二等軍曹だったとしても軍曹より上の階級です。これは何も知らないで公式サイトを見た人だと勘違いするかもしれませんが、米陸軍の無印「Sergeant(軍曹)」は実は三等軍曹のことなんです。

ですが私がこの映画をぼんやり眺めていた印象ですとサンボーン軍曹の方が少なくとも階級は上なのかと思える態度でした。特殊能力をもつ異能者である(それゆえ爆発物処理作業ではリーダーである)ことに遠慮して、下っ端のくせに指示を無視して勝手なことをやるジェームズに対して強く出ることができず苦悩していたが、ついに堪えきれずぶん殴った(←私の見間違いでなければ殴りましたよね?ヘッドセットをはずして通信を無視したとかの理由で?)ように見えたんです。つまり、有能で成果はあげていても縦社会である軍の秩序を乱しているクソ野郎を看過できずに制裁したのかな?と思ったのです。ジェームズはそれを黙って受け入れていましたし。

しかし階級もジェームズの方が上であるなら、この場面の解釈も全く変わってきます。サンボーンは作戦行動中に上官をぶん殴ったわけですよね?なんで処罰されないのかわかりません(←そもそもサンボーンがあんまり「逃げたい逃げたい」連呼でウゼエからヘッドセットを捨てたんだし軍法会議なら絶対勝てると思うけど)。この行為を黙って許すジェームズはものすごく型破りな(軍隊の秩序的には問題だが)寛容な人物ということになります。逆にサンボーンは(爆発物の処理に関して)無能な上に、上官に対して反抗的で頑な不良軍人であるということになります。護衛任務にしたって彼がもっと柔軟で優秀なら前任者は死なずに済んだわけですから、そういう意味でも彼の頑なさや融通の利かなさは非常に有害です。

またエルドリッジ技術兵も(単にオロオロ&オドオドしててウザいという以上に)相当問題のある軍人です。彼の階級は「Specialist」で伍長相当のようですがこれは軍曹よりも更に一階級下ですから、当然ジェームズの方が階級が上です。一等軍曹の方が3階級上という事です。その上官相手に彼は公然と罵声を浴びせていましたよね?負傷してヘリで搬送されるときに、他の兵士も目撃している前で。会社組織の上下関係でもどうかと思うのに軍隊でこんなことをして許されるものなんでしょうか。

ネット上で色々と見かけた『ハート・ロッカー』評の大部分は(少なくとも前半での)ジェームズが身勝手で頭のおかしい人物で、それに振り回されて困惑する常識あるサンボーン&エルドリッジという構図と受け止めたようですが、それはちょっと違うのかもしれません。

むしろジェームズ一等軍曹は危険極まりない爆弾処理という非常に難しい任務を、使い物にならない反抗的な不良軍人である部下二名を持つ中間管理職として彼等ポンコツどもの処理もしつつ、成し遂げていたということなんじゃないでしょうか。物語の進行につれ、なんとかしようという範囲が、自分の仕事→自分の仕事と部下→自分の仕事と部下とイラクの人達...と拡大していって自身の能力容量越えてしまったようにも見えます。

ラリってんじゃなくてクルってる

この映画『ハート・ロッカー』の、特にラストシーンの解釈を巡っては映画評論家の町山智浩さんとライムスター宇多丸さんとの間で論争がありました。

>> しかし反撃もそこまで

上記リンク先でポッドキャストや町山氏の発言を集めたtogetterへのリンクがまとめられています。また問題となってるラストは某動画サイトにありましたので一応参照のために引用しておきます。

>> エンディング

ポッドキャストを聞き返さずに記憶で書いているので間違っているかもしれません(以下、両氏の考えを私なりに理解した内容をカギカッコで示しますが、これらはあくまで私の意訳であって彼等がどこかで一字一句カギカッコ内の内容と同じ発言をしたわけではありません)が、確か宇多丸氏はこれを「戦争中毒で社会不適応となった主人公が普通の生活ができず疎外感を感じてまた戦場に戻って来ざるを得なくなったシーン」と解釈していたはずです。同種のテーマや内容や構成を持つ過去作品の系列にこの映画を加え、そう捉えたときに不足している点(帰国しても普通の社会に馴染めなかったということがわかる描写が足りない云々)なども指摘してダメ出ししていました。

これに対して町山氏は「戦争中毒などからは醒めている主人公が、何もかもうまくいかず打ち拉がれて去らねばならなかった場所に、再び挑む決意を固めた姿が映し出されたシーン」だというようなことを言っていたかと思います。映画の中盤くらいからイラクの普通の人達に目を向け始めた主人公は確かになんだかわからない衝動のようなものに駆られる感じで(勝手に基地を抜け出してみたり)色々と奇妙な試みを始めます。町山氏はこれを「スリルや刺激の中に万能感や充実感を求める行為から脱して、それまで見ない様にしていたイラクの惨状に正面から向き合って不器用ながらもそれをなんとかしようとあがいている姿」と捉えたようです。

そして宇多丸氏が主張するような過去映画の系譜にこの作品が入らない根拠としては、主人公が人を殺さない軍人であることをあげていました。確かに主人公は軍隊には所属しているけれども、その任務は自分の身を危険に晒しながら他人の安全を守るというものなので「米軍がイラクに対して持つ加害者としての罪」からは免れた存在です。そういう人をわざわざ主人公にするという工夫をしているのだから、その点を無視して解釈することはできないだろう、という町山氏の主張には分があるように思えます。

ですが、両者の議論は結局平行線で終っていました。宇多丸氏は自身の解釈を改めませんでしたし、ネット上で見られる『ハート・ロッカー』評に関してもざっと眺めると大部分は宇多丸さんタイプの解釈ばかりなので多数決では町山氏の解釈は否決されそうです。

私自身はといえば、先にも述べたようにこの映画は非常に適当な感じでざっと眺めただけということもあって、確かなことは能力的にも資格的にも言えないのですが、大多数の人とは逆で宇多丸氏的な解釈の方が全く受け入れる余地のないものに見えます。

ま、そもそもジェームズ一等軍曹の前半の姿さえ「ストレスでおだっている状態」(「おだつ」は方言ですね...)くらいにしか見えていませんでしたし、「アドレナリンジャンキー」「戦争中毒」云々ということが作品の主要なテーマとは全く思いませんでした。それよりも中盤の「どこにぶつけてよいかわからない義憤を抱えて混乱している」姿の方に目がいきます。

ここで、やや唐突なことをいうと、ジェームズ一等軍曹のイラクでのあがきは『羊たちの沈黙』でクラリス捜査官(当時は訓練生?)が語った幼少期の話を思い出させます。と、いいつつ私は『羊たちの沈黙』もきちんとは見たことがないので(←!)非常にアヤフヤな話なんですけどね。一応 Wikipedia から引用するとクラリスの話はこういうもの↓です。

クラリスは幼い頃に母を亡くしていたため、警察官の父と二人暮しをしていた。彼女は父をこよなく愛していたが、彼女が10歳の時に彼が強盗に射殺される事件が発生。孤児となったクラリスはモンタナ州にある母親の従兄弟夫婦の牧場に預けられることになった。牧場主は大変まじめな人だったが、牧場に移ってから2ヵ月後のある夜、彼が子羊たちを屠殺している現場を目撃してしまう。クラリスは子羊たちを助けたいと思い、その1頭だけを抱いて牧場を出たが、結局保安官に見つかり、子羊も殺されてしまい、怒った牧場主によって彼女はボストンの施設に入れられてしまう。この時の子羊たちの叫びが、その後も彼女の心にトラウマとして、また悲しい少女時代の象徴として残り続け、彼女を悩ますこととなる。

この牧場では羊はそもそも殺されるために育てられているわけですし羊を殺すことは誰にとっても当然の行為です。また羊たちも牧場の外に逃れて野生化して生きて行くことはできないわけですから人間に育てられて殺されて喰われる以外の選択肢はありません。そういう状況を見て「なんとかしたい!」と感じたところでどうにもなるはずもないし、そもそも普通の人間なら「なんとかしたい」とも思いません。でも幼少期のクラリスはそう強く思ったわけです。そしてどうにもできなくても何かしなくてはと突き動かされて子羊を抱いて逃げるのです。その行為によって自分の居場所さえ失うというのに。

一方ジェームズはイラクでのひどい状況を目の当たりにして色々空回りしつつあがいていたので、自爆テロ(要員にされたけど死にたくない)オジサンを仲間の制止を振り切ってタイマーが1分切るくらいまでねばって助けようと必死に頑張ります。でも結局助けられずオジサンは爆死してしまう。その姿が子羊を抱えて彷徨う(そして結局どうにもならずに捕まる)クラリスの幼少期の姿と重なります。

私の解釈ではクラリス捜査官は狂気を秘めた人物です。『羊たちの沈黙』の登場人物で最も狂っているのは実は彼女ではないかと思っています。普通の人間なら渇望してやまない出世や名誉・名声、他人を支配すること等々に全く関心がない。(猟奇殺人犯や彼女の上司やレクターの被害者たちも含めて)ほとんどの人間が常に欲望し、餓え、まるで中毒になって禁断症状を起こしているかのように求める対象には執着しないのです。レクターは人の欲望を利用して相手を理解し洗脳し操るすべに長けた人物であるのでクラリスの異常性にはすぐ気づきます。

他の人間が欲望のために多かれ少なかれラリっており、その欲望を肥大化させて異常者となり破滅していくのだとすれば、彼女はそういう人間の一般的なケースからはずれているという意味でクルっています。そしてなぜそんな風にクルったのかを知りたかったレクターは彼女に告白を求め、彼女の狂気を理解し礼を述べます。でもレクター以外は彼女の狂気や行動原理を理解できません。犯人のアジトへ単独で乗り込んで(自分も殺されるかもしれないという危険さえ顧みずに)被害者を救出した行為も、ラリってるだけの人達には単なる目立ちたがり屋のスタンドプレイとしか解釈できないわけです。注目を浴びたい、という欲望に餓えた末の中毒者の行動にしかみえないんですね。

ジェームズ一等軍曹の行動について解釈がわかれるのも同じような理由からなんじゃないかと思います。あれが危険な目にあうことの快楽に飢えてラリった人間の姿にしか見えない人には、どんなに言葉を尽くして説明されても、やっぱりそうとしか見えないのでしょう。これは仕方が無い。

けれど、あの顔や動きはあくまで役者の演技なわけですし、作り手の演出によるものですが、私には非常によく出来たものに見えました。ヘリから降りて来るときのシルエットだけでも他の兵と何か雰囲気が違う動きをしているとわかります。表情もよく出来ていて「やっかいを抱え込んで困っている人の顔」になっていました。普通にいう「決意を固めた人」的な晴れ晴れとして迷いのないサッパリした表情の顔、なんていうのはこういう本当に深くて大きくて複雑で誰の手にも負えないような何かを相手に挑もうとする人間の顔じゃないんですよね。その点でリアルというかわかってるな、と感心しました(←えらい偉そうに書いてるけど何様目線だよ!←うるせー!)。ジョディ・フォスターはいつもそういう顔なのでクラリスの役作りは楽(?)そうですが、ジェームズ役の俳優さんは頑張ったんじゃないかと思えます。

(補足:上記のポッドキャストでの議論をざっとですが聞き返してみて、両者ともに「デビット・モース」という役者が演じていた役を「自分が殺される不安や倫理的な問題について思考を停止して戦場に適応した人間」と看做しているのに気づきました。そして宇多丸氏は「主人公ジェームズがそういう人間に憧れており迷った末結局そういう人間になった」と考え、町山氏は「主人公は最初はそういう人間だったが変わっていったんだ」と解釈していました。

はっきりは言ってませんでしたがこの役を『フルメタルジャケット』に出て来た「女や子どもなんてよく殺せるね」という倫理的な皮肉を含んだ問いに「動きが遅いから簡単だぜ、うははは」と技術的に可能かどうかという問いとして答えた兵士のような人間とみたようです。主人公に話しかけてきて「いままでいくつ爆弾を処理したんだ?」「873個だって!すごいなそりゃ」みたいに大声で陽気そうに会話していたことがそう考えた根拠なのでしょう。

でもモースが演じたのは「リード大佐」ですから階級を考えると話は全く違ってきます。彼は軍医には見えませんから恐らく連隊長か何かです。普通ならあんな現場にはいないはずの遥か上の役職の人がたまたま主人公の活躍を目にして、優秀な上級管理職の人心掌握術を使って派手に他の兵士にも聞こえるように褒めたシーンと受け止めるべきでしょう。それまで爆弾解除そのものにしか全く興味がないため個人的な戦利品をコレクションするだけで完全に自己完結して他人のことなんて眼中になかったのが、直前に部下には殴られ、今度は思いがけなく賞賛されたことをきっかけにして、他人のココロに興味を持つ様に変わり始める場面なんじゃないでしょうか。この直後がイラクの子とサッカーボールで遊ぶシーンですし。けれど他人のココロに関心が向いた結果、部下の気持ちだけじゃなくそれまで目に入ってなかったイラクの状況にも感づいて苦悩し始める、ということに繋がっていったんだと思います。)

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