January 2010

January 24 Sunday 2010

クラーク博士と山田孝雄

クラーク博士の有名な「Boys be ambitious.」というセリフには実は続きがあります。でも、続き部分はなんか訳し難いというか、すっきりしないのであまり引用されないんでしょう。

とりあえずクラーク博士の発言後半は加島祥造『英語名言集』(p.53)などに載ってます。引用するとこんな感じです。

Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandisement, nor for that evanescent thing which men call fame... Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.

金銭や我欲、名声なんかじゃなくて「attainment of all that a man ought to be」っていってます。このあたりを加島祥造訳では「人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成し遂げるために大志をもて」としてますけど、なんともかんとも。良い事いってるんですけど歯切れ悪いですよね。

ところが意外な人がまるでクラーク発言の邦訳のようなことを書いていたのを発見しました。国語学者山田孝雄先生なんですけど、こんな風に言ってます。

余が目的は爵禄栄利を求めるのではない。唯、人間として当然の道を尽くすにあるのみ。

「人間として当然の道を尽くす」というのが具体的にどういうことなのか、については引用元の『山田孝雄 共同体の国学の夢』(p.20)で著者の滝浦真人先生が分析なさってます。山田家→日本→世界(最優先は山田家)のために頑張るみたいなことだったような気がしますけど、でもそれはちょっと留保が必要かもしれない、とも思います。元ネタである『立志時代』(畢生の目的 pp.121-132 明治34年)をはじめ、山田孝雄の著書を隅々まで読み込んでる方の分析についてアレコレいう立場にはないんですけど、ただやっぱり武家に生まれた人の意識みたいなことについてはあんまり御存知ないかもしれなくて、そういう点でちょっとしたズレみたいなのはあるんじゃないかと。

とはいえ、私も別にそちらの方面に関して特に詳しいわけではないのでなんとも覚束ないのですが。でも一応話題にしてしまったのでボンヤリと語ってみますか。

三島由紀夫の誤読

ええと、まずは「武士道は死ぬことと云々」ってのがあるじゃないですか。『葉隠』の有名なフレーズですね。これに関しては世間一般では全く意味を取り違っていて、そしてこれもよくあることですけど、原典にあたらないで適当なことをいう人が後を絶ちません。たとえば三島由紀夫なんかがこの取り違った方の意味で『葉隠』批判のようなことをしゃべっている映像を見たことがあります。

『葉隠』の著者は、いつでも武士というものはイチかバチかの選択のときには死ぬ方を先に選ばなきゃいけないということを、口を酸っぱくして説きましたけれども、著者自身は長生きして畳の上で死んだのであります。そういう風に武士でもあっても、結局死ぬチャンスがつかめないで、死ということを心の中に描きながら生きていった。そういうことで、仕事をやっていますときに、なんか生の倦怠といいますか、ただ人間が自分のためだけに生きようということには卑しいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。人間の生命というのは不思議なもんで、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬほど人間は強くないんです。というのは、人間というのは理想なり、何かのためということを考えてるんで、生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。すると死ぬのも何かのためということが必ず出て来る。それが昔言われた大義というものです。そして大義のために死ぬことが人間にとってもっとも華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だと考えられていた。しかし、今は大義がない。これは民主主義の政治形態なんてものは大義がいらない政治形態ですから、当然なんですが、それでも心の中に自分を越える価値が認められなければ、生きていることさえ無意味となるような、心理状態がないわけではない。

「イチかバチかの選択のときには死ぬ方を先に選ばなきゃいけない」って三島は言ってますけど、『葉隠』ではこれは比喩的に言われていることですし、ちょっとニュアンスも違います。「(自分が所属している共同体にとって)イチかバチかの選択の(必要があってそれを任された)ときには(自分にとって好ましい選択肢を選びたいけどその逆の自分にとって好ましくないという意味で)死ぬ方を(選べば正解である可能性が高いからそちらを)選ばなきゃいけない」ってことなんですよね。

人間は能力が高い人もそうじゃない人も皆必ず間違いを犯す、という認識がまずあります。そして「なぜ人間は必ず間違いを犯すのだろう?」という問いをたてて「よりよく生きたいと思っているからじゃないか」という答えを見つけます。よりよく生きたいと思っているから色々な欲(金銭、名誉etc...)があって、それを叶える選択肢を好ましく思い、そうじゃないのを選びたくないと感じてしまうわけです。でも逆に考えると、判断の難しい選択肢があったとき、自分にとって好ましい結果をもたらしそうな選択肢の方には無意識にゲタを履かせてしまっている可能性が高いとわかっているわけですから、同程度に正しく見えたときには自分にとって好ましくない方、つまり「自分が死ぬ」=「自分を殺す」選択肢の方が正解の可能性が高いわけです。

これが「死ぬこと」であって、武士道の奥義(?)ですね。いざというときに迷いなく自分を「殺す」選択を訓練と習慣の力で成し遂げられるように鍛え上げられた人達...が武士なわけです。ですから「死ぬこと」っていうのは単に肉体的に死ぬことじゃないんですよね。人間だったら、というか生物だったら当然備えている本質的な欲求に、ここぞという場面で平然と逆らうことが可能な存在...肉体的には生きているけれども生物の持つ欲求に従わないという点では死んでいるような存在というのは、たぶんゾンビなんかの真逆ってことなのでしょう。あれは肉体的には死んでいるのに生前の欲求はより強力な形で持ち続けていますよね。そしてゾンビがモンスターであるようにサムライもまたモンスターなんですよ。地味でわかりにくいですけど。

そして三島が武士道を全く理解していないなあ、と強く感じさせるのが「大義」云々の部分です。「大義のために華々しく英雄的に立派に死にたい」などというのは、どうみても selfish な願望の吐露にしかみえません。こんなのはうぬぼれが強く打算的な態度とみなされます。真のサムライなら「犬死に」さえ恐れないわけですよ。山本常朝が大過なく長生きして大往生した...というのは、彼が語った通りに生きたってだけで何も矛盾してないし、立派なものだと思います。三島だけじゃないですが、おそらく世間がイメージし、また流通している武士像と、実際の彼らの哲学(?)というか行動原理みたいなものは真反対といってもいいぐらい違うんじゃないでしょうか。

ヤクザ渡世人みたいなのと混同しているんですかね。

ここぞのときの行動

山田孝雄の話から遠くなってしまいましたが...。

ええと、ですね、私は「サムライ」意識を持っていたであろう人達の「ここぞ」のときの行動に若干感動を覚えることがあります。それが普通の基準で良い事なのか悪い事なのかは別にしてですけど。

前述の滝浦先生の著作を読んで初めて知ったのですが、山田孝雄先生は戦後に公職追放されていた時期があるんですね。国語学者が何やったらそんなことになるんだ?と思ったら、その理由がまたすごい。国史編修院長をやったからだそうなんですよ。1945年に8月17日に発足したとかいう国史編修院長を引き受けるって、もうこれは覚悟の上としか思えません。普通の人間なら口を拭って逃げ隠れする時期にコレですもの。結局、進駐軍の教育行政への介入には抗し切れなくて「自ら信ずる正しい道によりて進退せねばならぬ」として辞任してから国史編修院は機能停止の後、翌年廃止されてるようですけど。

これが「死ぬこと」なんだろうなあ、と。下手すれば肉体的にも死んでいたかもしれませんけど。世俗の凡人(たとえば私:笑)からみますと「北畠氏の遺臣」である「三百年来の」山田家の再興を第一とするにしては無茶な選択と思えますが、たぶんそれが「人間としての当然の道」だったんでしょうね。滝浦先生の御指摘通り「山田家の名を天下に...」という意識ではいるんでしょうけど、それはドサクサに紛れて上手く立ち回ってのし上がる、みたいなのとは全然次元が違う種類のものだと考えざるを得ません。

で、ついでといっては何ですが、新渡戸稲造先生などもやはり「ここぞ」というときに思いっきり自分が損する行動をとっていますよね。どうも先祖代々かなりその傾向の強い一族のようですけど。藩の偉いさんたちに諌言して処罰を受けるというようなことを代々やっていたようですが、これも「死ぬこと」を選択するような、「猫の首に鈴をつける必要があるがそれを自分がやると死んでしまうから他人がやってくれるといいんだけどなー」という状況でまっさきに鈴をもって猫につっこんでいくよう訓練されている一族だったのだなあ、すごいなあ、と思います。

■無能だが信頼されるとは?

ところで新渡戸稲造先生や山田孝雄先生はそれぞれ御自身の専門ですぐれた業績を残した方々で、つまり優秀な方々だったので逆に目立たないのですけど、上述してきた武士道の奥義といいますか、サムライ化することの有効性というのは、無能であってさえ正しい選択肢に辿り着ける可能性が高くなる点にこそあるようなんですよね、実は。

この点が顕著に現れた方というと、乃木希典将軍じゃないでしょうか。最近、テレビドラマで『坂の上の雲』をやっているそうで、司馬遼太郎のこの著書では乃木希典将軍は無能の極みのように糾弾されているとかいう噂を聞いたのですけど、そうなんでしょうか?(←読んでから言えよ!)

乃木将軍無能説というのはかなり根強くあるようで、たぶんそういう主張をされている方々は十分な根拠をもって非難(?)しているのだとは思うのですけど、一方で昭和天皇をはじめ乃木将軍をすばらしい(印象深い?)人物であったと評す方々もいるわけですよ。ところで、これは一方が正しくて、もう一方が間違っているというような議論の題材なんでしょうかね。

あんまり事情を知らないでいうのもなんですけど、たぶん乃木将軍は軍事の専門家としては優秀ではなかったんじゃないかな、と思います。西南戦争で連隊旗を取られたとか、二百三高地を落とすときに陸軍の兵隊を死なせまくってついに近衛師団まで投入したとか、味方の歩兵が突撃している最中に砲撃したとか、軍用馬の去勢に反対したとか、あと直接は関係してないのかもしれないですが海軍では効果有りとされていた食事療法による脚気改善をやらなかったとかとかとか。

でも恐るべき事に、西南戦争も官軍勝利で終ったし、日露戦争もギリギリの状態だけれど勝ったわけです。勝ち負けでいったら一応勝ってはいるんですね。「勝利する」という絶対クリアしなくてはいけない目標だけはなんとか達成してるんですよ。

これがもし有能だけれどサムライ化してない人間がトップだったとしたら、旅順要塞は落とせなかった可能性が案外高くて、結果的に日本は「勝った」という形であの戦争を終えることができなかったりしたのではないだろうか、と考えたりします。有能な軍人なら味方がほぼ全滅するような作戦は立てないでしょうし、たとえ勝てそうでも被害が大きすぎて批判されそうだと判断したら、どうやって責任逃れするかを第一に考えて腰が引けてしまうんじゃないでしょうか。まして自分の息子達をとても成功しそうにない突撃に参加させて、他の兵士たちが死んでいくのと同じように馬鹿正直に全員死なせるなんてことはしないんじゃないかと思います。なんとか理由をつけて(せめて一人ぐらいは)生かそうとするんじゃないかと。日本が戦争に負けることよりも家族の命や子孫のことを第一に考えて、よりよく生きたいと思うんじゃないですかね。

軍事的には無能である疑いが強い乃木将軍が、跡継ぎを全て失うだとか、多くの人命を無駄に死なせた責任をすべて被る、といった過酷な不利益にさえ全く怯まず「死ぬこと」の選択肢を重ねて行くことで、最終的には期待された結果に(能力の不足で尋常でない損害は出すものの)毎回到達しているところがすごいんじゃないかと。これで有能だったらもっと生きていることが辛くなかったのかもなあ、と同情しますけどね。亡くなったときにも「連隊旗」のことを気にしていたようですが、それは軍事面での才能が無かったことの、ある種象徴的なものだったんじゃないでしょうか。才能がないのに重大な職務を遂行しなければならないことで常人には与り知れない苦しみを味わってきて、そういうのは自分で最後にしようとして乃木家を完全に断絶させたのかもしれません。

そして、こういうことは東大阪出身の司馬遼太郎にはわからないのだろうな、と思います。武家文化がわからないというよりは認める気はない、ってことかもしれないけれど。新撰組とか坂本龍馬とかに好意的だったというのは(ファンも多いからアレですけど)彼らが上記のサムライ化した人達と程遠い人間だったからなんじゃないかな。欲に忠実な人間はわかりやすいというか語りやすいんでしょうね。

小供の時から損ばかりしている

乃木将軍の死を重要な題材に使った作品というと夏目漱石の『こころ』がまず思い浮かびます。が、漱石の作品では『坊ちゃん』にサムライといいますか、武士道ネタが直接的な形で含まれているように私には思えますので、ここではそれについて語ってみます。

冒頭で「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」と書いてますけど、読み進んでも「親譲り」なせいで「無鉄砲」なようには読めません。親兄弟は全然無鉄砲じゃないんですね。そのわりにはしつこく「親譲りの無鉄砲」って何度も書いてますけど。ただ下女の清が「あなたは真っ直でよいご気性だ」と褒める性格をしていて、そのせいで方々で軋轢を起し、結果いつも損をしているという人なだけです。

また「おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない」ともいっていて、この点も清に「あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云って」褒められています。兎に角親兄弟をはじめ世間は彼を全く評価しないけれども、下女の清だけが異様に高評価をしているわけです。そしてこの清という人は「元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない」という出自と書いてあるので、たぶん武家文化に属する人、そして老人ですから特にその(明治以前からある)規範を内面化した人物であると推察できます。

大昔に読んだときには「損ばかりしている」ということが何か特別な意味を持つとは全く思っていなかったんですけど、漱石自身の出自のことなども考えますと、これは「死ぬこと」の選択を重ねているっていうことなのかな、と思えてきます。小さくて地味で価値のない、そういう側面でのことばかりですけれども。

でもこんな「坊ちゃん」さんでも、やはり肝心な選択では間違えなかったと描かれています。『坊ちゃん』の最後はこんな風です。

 清の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。  その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。

「街鉄の技手」っていうのは「東京市街鉄道」という市電の現場での技術職ということだと思います。どうもこのラストの部分を「坊ちゃん」が落ちぶれちゃったといいますか、作品冒頭で清が予言したような立身出世に結びつかなかったことを「あれれ...」と不満に思う向きもあるようで、実は街鉄が当時の人気職だったのだ、とか色々言う人もあるようです。

どういう風に読んでも人の勝手だと思うので、それならそれで良いのですけど、このラストは別に挫折したとかしょぼいとか、そういうものではないでしょう。普通の価値観といいますか「快男児の活躍譚」として読もうとするからムリがあるのであって、もともとそういう話じゃないと考えると辻褄が合います。

「坊ちゃん」さんは「余が目的は爵禄栄利を求めるのではない。唯、人間として当然の道を尽くすにあるのみ」を実践して清さんとの約束を果たしたのだから何も問題はないんですよ。これもまたサムライ化の一形態で、清さんの見立ては正しかったってことになってメデタシメデタシな完璧なるハッピーエンドとしか言いようが無い...凡俗にはわかりにくいんですけどね(笑)。

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