December 2010

December 12 Sunday 2010

■スクリプトをいじる

以前作った色々なスクリプトをCGI化していく作業にとりかかる前に、ちょいと肩ならしのつもりでこんなのを作ってみました。ちょっとした思いつきを投稿して簡単にhtml化して表示するCGIスクリプトです。セキュリティ上色々問題はありそうですが(というか悪意ある人にアレコレされたらひとたまりもない:汗)どのみち書いては消す落書き帳なので実害は少ないかな、とも思います。

今回上記のスクリプトを書いていて、この日記作成スクリプトにもいくらかフィードバックがありました。中でも大きいのが長年不愉快だった「 more >>」なんかの飛び出し問題の解決です。解決...したのでしょうか。謎は余計深まった気もするのですけど(詳細についてはかなり面倒くさいので割愛:笑)。

■W03[es]の現状

キーボードに命令を割り当てるソフトを使って「ok」もキーボードで打てるようになりました。他と重複しないようなコマンドということで、とりあえず Ctrl + 0 を割り当てました。これで通常のほぼ全ての作業がスタイラスペン無しで行なえるのでかなり快適です。

また実はW03[es]は2個あるので、もう一方はiPhone的というかPDAっぽく使ってみようという方針でいろいろ弄っています。見た目をiOS風にしてくれるソフトの一つ Home 2 を使ってみたところ、ずいぶんイイカンジで驚きました。無論個々のソフトを起動してしまうとイイカンジは雲散霧消してしまうわけですけど、シャープやマイクロソフトにこのセンスがあればW03の売れ行きやシェアもずいぶん違ったんだろうな、と思えました。

AppleはNewtonやら何やらの失敗を経験したり、Palmが期待されつつぽしゃったのをちゃんと見ていて「スタイラスペンを操作に使うのはNG」という結論に達してインターフェイスのデザインなんかを考え抜いてiPhoneを作ったんじゃないんでしょうかね。そう思えてなりません。

December 06 Monday 2010

■ネットまわりの整理

どうも2006年くらいから記憶が止まっているようで、色々思い出しつつ穿り返していくとその年あたりのものがゴロゴロ出てきます。そういえばW-Zero3[es]もそのころのものだったような。世の中自体も停滞していたんでしょうかね。一部だけかな?

それはさておき、まずこのところ話題になっている mixi を始末というか、一応今まで書いた日記のバックアップをとっておこうという気になりました。結構な量があるので手作業というわけにもいかず、困ったなあ・・・と思いつつググってみると、そういう用途のツールを作って公開してくれている方がいる模様。ありがたや。幸あれ。サイトはこちらです。オイラはMacなので Terminal を起動して perl mixi_export.pl とやったところ問題なくツルツルと読み出してくれました。詳しいマニュアルもついていてとても親切かと。また読み出したファイルは adiary というブログツールにインポートできます。そもそも mixi_export.pl はそのために開発されたようですね。

また adiary をローカル環境で動かすために cgi-bin を開いたら古い Movable Type を見つけました。そういえば、いじってたなあ...と思いつつ動かしてみるとパスワードがわかりませぬ(笑?)。大したことは書いていないはずですが、何か猛烈に気持ち悪いので対処法をググってみました。

これも有り難いことにこちらに解決策が紹介されていました。2005年の記事ですね。紹介されているスクリプトがまだ入手できるのかドキドキでしたがちゃんとありました。mt-medic.cgiです。ログインしてみたところ記事はやはり2006年頃のものでした。

■cgiテスト用サイト

怪しげな理解のまま Perl で作ったスクリプトを使って色々作業をしているのですが、Terminal で作業するのは案外億劫だったりします(私だけかもしれませんけど)。ちょっとだけGUIっぽい環境があるといいのになあ...ということで cgi 用に書き換えてしまおうと思うのですが、その際にローカルな環境ではなく外部にも置いておこうかな、と思いました。出先で使える、他人にアレコレ(メールや電話で)説明するときに確認してもらいやすいかもしれない、などなど様々な利点が考えられます。

試しに無料レンタルサーバを使ってみたのですが、容赦なく差し込まれて来る大量の広告スクリプトのせいでまともに動きません(涙)。試しに willcom で位置情報が表示されるスクリプトを動かしてみましたが、無駄な広告のせいで(何もない場合との比較で)大量のパケット代も発生してしまい、格安有料サーバの方がずっとコストがかからずイラつかないで済むという結論に達しました。

と、いうことで今後はここらへんで店開き(?)していくと思います。そんな感じで。

November 2010

November 30 Tuesday 2010

■メモ書き

W-Zero3[es] から色々更新できるようになったので早速試してみました。リンク先は前日書いたのと同じですがこちらです。計算機も今やすっかり電卓化されたんだなあ、と感慨深いです。もちろん高性能であればあるほど良いのは大前提なのですが、電卓っぽいスマートフォンのレベルでもメモ書きと簡単なテキスト編集程度中心であれば、実用に充分なレベルに達しているあたりに驚きました。液晶が2.8インチしかなくても640×480ではあるので、なんとかなってるんですね。

■HHKBでの操作

W-Zero3[es]をHHKBで使うことに段々慣れてきました。スペース左のキーがウィンドウズ印のボタンと同じ機能をもっているようです。これでキー操作でアプリケーションを起動できます。またスタンダードな画面の左下(Macで言えば「ファイル」)と右下(Macの「編集」)メニューについてはF1とF2が対応していました。あとは「ok」に対応するキーが分かればよいのですが、一応ここまでわかっていればなんとかなります。

その他 Ctrl + W は「ぽけギコ」のスレが並んでいる画面から板リスト画面に戻ったりジャンルウィンドウへカーソルを戻したりするのに使えることがわかりました。Ctrl + Q もいくつかのアプリケーションで機能しました。homeキーやendキー、page upとpage downみたいな今まで全く使っていなかったキーも割と大活躍しています。

Emacsに関しては Emacs CE ではなく Ng という簡易版を使っています。ざっと確認してみたところDiredの機能は大体使えるようです。ATOKでの日本語入力ができる点や、kill した文字列が cut と同じ扱いでクリップボードに入るらしい点などは本式のEmacsより便利な気もしますけど、どうなんでしょうね。spell check 機能が無い分はEPWING辞書viewerで補うとして、現時点でちょっと困っているのが、ミニバッファが短かすぎることです。Diredで C や R をタイプしたときに必要なことが途中までしか表示されないんですよ。見えない部分はカンでタイプしないといけないのがちょっとコワイかな、と。何か対処法があるんでしょうか。

■AmazonのISBNコード

アフィリエイト用のリンクURLを読んでいると、どのリンクも中身はほぼ一致していることがわかりました。違っている部分は ASIN 直後の番号だけのようで(作成されたリンクのバージョンで若干内容は違うようですが)これは ISBN 番号と一致しています。ASIN と ISBN の関係ってどうなんでしたっけ?まあ、ともかく、この日記作成スクリプトにもISBN番号を添えれば自動でリンクを生成する機能を入れようと思います。一々Amazonのサイトに行くのは面倒ですし、W-Zero3[es]の Opera で手作業でそれをやるのはかなりつらいので。

November 29 Monday 2010

■スクリプトの修正

無料アクセス解析の広告をずっと放置していましたが、ようやく重い腰をあげて消去しました。何をするにも億劫で、ボーっとしているうちに膨大な時間が過ぎてしまったことに愕然とします。こういう自分の状態を強く意識したのは、所謂ハンガーノックっぽい状態を経験して、疲労しているわけでも身体に機能障害があるわけでもないのに、わずかの坂さえ登れないという症状を経験してからだったりします。自分に何が起こっているのか、よくわからなかったんですね、いままで。

■W-Zero3 [es]

何をするにも遅すぎる気もしますが、何もしなくてもどうにもならないので、とにかく何かしなくては、と思っているときに渡りに船な感じで、使わなくなったスマートフォンの筐体をいただきました。これを往年のポケットコンピュータを弄る感じでコチョコチョやっていたところ、何かコチラ(?)方面のやる気も久々に高まってきて、とりあえず力つきるまでやってみるか・・・という気持ちになっています。ハンガーノック状態で食する油アマモノみたいな役割を果たしてくれています。

浦島太郎状態で全然知らなかったのですが、昨今のスマートフォンにはUSB Host 機能などというのがあり、そのおかげで HHKB Lite2 が使えました。更に(もともと任天堂 Wii 用らしい)USB 有線LANユニットも生産中止ではあるもののまだ在庫が量販店に残っていたので、それを使ってネット接続も可能になりました。ネットとまともなキーボードが使用可能というのは実にすばらしいことです。 USB Host機能がなくても本来ならBluetoothでなんでも接続できるとか聞いたことはあるのですが、そっちはどうなってるんでしょうね。京ぽん2にも一応Bluetooth搭載とかは書いてありますけど、実際には何にも繋げないので意味はなかったりします。

それはさておき、これによって文字入力がストレスなく出来、FTPソフトを使用して母艦となるMacとのデータの授受、ネット上のFTPサイトとのやりとりも可能となるため必要最小限の機能が実装できたことになります。Emacsに関しては、どうせなら Emacs CE を使いたいところなのですが、ざっと大まかに検索したところあらかたネット上から削除されてしまっているように見えます。もっとちゃんと探せばあるのでしょうけれど。

■7月の非更新

実は書き掛けで放置していました。7月頃までは結構頑張ってたっぽいのですけど、何で心が折れたのか?・・・と自分なりに思い出してみたところ、クルマに傷を入れられたのが原因っぽいなあ、と思い当たります。その後のゴタゴタとか。自分は誰のクルマも傷つけたことがないし、いつも細心の注意を払うのですが、そうじゃない人がたくさんいます。クルマに関する話だけじゃなくて、単純に他人を傷つけるかどうか、という点でもそうなんじゃないか、と思えてなりません。人の場合には勝手に本人の心のあり方で傷ついたりする人もいるので(おかしな信念をもってるとか、他人に奇妙な願望を投影していて、それが適わなくて傷つくみたいな)なんともいえない部分はありますけど。

さて、中途でやめた内容なのですが、7月に何か閃いて『詩的言語の脱構築』と『詩と認知』について書きかけて、そのままになっていたようです。前者について推敲もせずに書いて、後者にとりかかろうとして止まっていた感じで、タイトルしか書いていませんでした。後者はジョージ・レイコフの著書で、レイコフはレトリックについてアレコレ書いていた人です。たぶんそのあたりで何か思うところがあったようなのですが、今となっては思い出せません。なんだったんだろう。

なんでもいいから興味を持った本の内容を簡単にでもすぐにどこかにアップロードしておいた方がよさそうな気がします。外に置いておかないとすぐにどこにいったかわからなくなってしまう、というよりも存在自体を忘れてしまうので。

ここらあたりにメモを書いておこうかな。

July 2010

July 19 Monday 2010

■アクセス解析

久しぶりにココを見てみたら左上にしつこく広告が表示されていて焦りました。何事かと。無料アクセス解析サービスをやっていたところが店じまいするんですね。それでそのお知らせ兼広告もやっちゃえ、と。こういうところが「タダほど高いものはない」ということなんですね。とはいえ4年〜5年くらいはサービスを継続して提供していたんですし、昨今のIT関連業界の状況変化からすると致し方ないというかお互い様(?)と大目にみるべきものなのかもしれません。

とりあえず日記作成スクリプトからこれ関連の部分を削除しなければいけません。特に難しいことはないんですけど、案外面倒でもあり、やっぱりイラっとくるかも(笑)。

■参考にはならないであろう参考図書

誰の何に参考になる/ならない、を明示しないとそれこそ話にならない気もしますが、適当にリストアップしてみます。

バーバラ・ジョンソン(1997)『詩的言語の脱構築』水声社 ←邦訳版が出たころに購入して出だしぐらいしか読まないで放置していました。原著の出版は1979年ということなので、この研究が二十年たっても輝きを失っていなかったすばらしいものだと喜ばしいこととみなすか、レトリックの研究が30年前から停滞して袋小路に入ったままだというように憂うべきか、迷うところです。詩の作成と研究の領域では従来から重要な事項として扱われて来たレトリックですが、一般に(研究に値する重要な事柄として)再評価されるきっかけとなったのはレイコフの『レトリックと人生』だと言われています。これも原著は1980年刊行ですので、ジョンソンのものと同時期です。日本でも佐藤信夫の一連の研究はレトリックについて再考・再評価する切っ掛けとなったもの知られています。『記号人間』の出版が1977年で、その後『レトリック感覚』など一連の著作が1980年頃を中心に刊行されました。ほぼ同時期の研究だといえます。これらは主に言語学や記号論の立場からのレトリック研究ですが、私の知る限りでは、現代詩の分野においてこうした人達と同様の観点からレトリックを取り上げたもっとも古い研究は北村太郎と加島祥造によるものです。比喩とその用法について分類するだけではなく、ジョンソンが第四章「脱比喩化」であげた様に「死んでいる比喩」や、それを蘇生する手法についても言及していました。これは彼らの属する「荒地派」のレトリック理論が先進的であったことを証明するものだといえます。ただ残念なことにこの路線は吉本隆明が『言語にとって美とは何か』でメチャクチャで混乱した形にして継承したため、以後まともに考察されることがなかったように思われます。

May 2010

May 15 Saturday 2010

■参考図書など

あとでまとめよう・・・と思っていると何も先に進まないので取りあえずここにメモしておきます。

現時点で考察中の事柄に関するものを誰も見に来てはいないとはいえ公開するのはちょっとどうかと思ったりも以前はしていたのですが、とにかく自分がやっていることの基本的な部分すらなかなか世間(?)には通じないことがあるので、なんというのでしょうね「戦争は数だよ兄貴!」理論でこれからは行こうかな、と。なんのことやらよくわかりませんが。

まず統計学関連は以下のような感じ。

C. R. ラオ (2010) 『統計学とは何か 偶然を生かす』ちくま学芸文庫 ←著者の C. Radhakrishna Rao はインドの統計学者だそうです。非常に(文系で現代思想とかが好きな人には)読みやすくて入門書として最適かと。統計学は決定論に基づいたタイプの科学とは違う考えかたをするものなのですが、そのあたりのこともわかりやすく説明しています。ちなみに私のやっているようなことは、無数にいる決定論者をまず説得しなければならず、更にそれなりの数がいる統計学を使う人の中でも推測統計学しかやっていない人間を啓蒙(?)した上で、ようやく記述統計学という枠内での話ができるようになる・・・という感じで、あまりにも理解を得るのが困難だったりします。しかもド文系人間に対しては文学作品を計算で扱う(?)ことそのものをまず納得させないといけないし。原著は Statistics and Truth (1997)。

デイヴィッド・サルツブルグ (2006) 『統計学を拓いた異才たち 経験則から科学へ進展した一世紀』日本経済新聞社 ←統計学の歴史に関するよもやま話がたくさん読めて面白いです。理論的なことの説明はあまりありませんけど。ちなみに著者のDavid Salsburg はピアソン系列の人だそうです。この本でも言及していますが、統計学界では歴史的に重要な事件としてピアソンとフィッシャーとの対立ということがありました。K. ピアソンが不当にフィッシャーを迫害して彼の研究を抹殺しようとしたが、それに耐えてフィッシャーはその天才っぷりで世に受け入れられ、K. ピアソン本人は後に没落していった・・・という勧善懲悪話として知られています。ピアソンの息子も統計学者で人格者ではあったようなのですが気の毒なことにフィッシャーから八つ当たり気味のイヤガラセを受けていたとか。上述したC. R. ラオはフィッシャーに教わった人だそうですが、両著者の語る統計学は別に対立したり異なったりしていることはありません。ピアソンvsフィッシャー問題は現時点では整理済みと考えて良いのでしょう。K. ピアソンにはカイ二乗検定を作ったとか、すばらしい業績もありますしね。個人的には思想上の問題点(フィッシャーは優生思想の持ち主)があっても天才であるフィッシャーの方を支持したいのですが、彼はあくまで推測統計学の人なので、どちらかといえばピアソン一派を支持しないといけないのかな(笑)。原著は The Lady Tasting Tea (2001)。

重田園江 (2003) 『フーコーの穴 統計学と統治の現在』木鐸社 ←まさか統計学に関して色々勉強しているうちにフーコーに出会うとは思いませんでした。でも統治や支配の問題を扱っているフーコーと「偶然」を扱う技術である統計学は言われてみれば深い関係があって当然ではあります。この本に出会う前に統計学とは別方面の興味からフーコーの『言語の秩序』を読み直していたのですが、統計学からもフーコーに繋がったことには少し驚きました。私の研究の興味からいえば第7章「プロファイリングの現在」で言及されていることが特に役立っています。FBIの方のプロファイリングは私も知っていましたが、それとは別に英国で統計学を使ったプロファイリングが行なわれていたことが紹介されています。そして、そこで引用されているデヴィッド・カンターの手法が、私の研究で使っている方法とほとんど同じであることに驚愕したました。私の方は散々「わけがわからない!」と言われてきたのに。

イアン・ハッキング (1999) 『偶然を飼いならす -統計学と第二次科学革命-』木鐸社 ←重田(2003)のかなりの部分は Ian Hacking の主張を踏襲しているように読めます。偶然にも程度があり、それは科学によって管理可能だ・・・となっていく歴史について細かく興味深いエピソードを多数交えて解説しています。いつものように浅学のためこの人の名前は聞いたことがなかったのですが、上記C. R. ラオの著作でも2章の冒頭で引用されていました。そもそも章の題が「不確実性を飼いならす---統計学の進展」でしたしね。ハッキングの本の原題は The Taming of Chance なんですけど、ラオの章タイトルも原題だと同じなんじゃないでしょうか。それはさておき「偶然を飼いならす」というのは本質をついた良いタイトルだと思います。不確実なものに対してもその不確実さの程度がわかれば(それなりに:笑)確実に扱うことができる・・・というのは割とあたりまえのことに聞こえるのですが、そうでもない人がたくさんいるんですね。私は以前チョムスキーが(1960か70年代にですが)コーパス言語学を批判するときに、エントロピーなどなどを出してきて、言語の研究に「偶然」が介入する余地はない旨断じているのを読んだことがあります。当時は単に「なんのこっちゃ?」と思ったのですが、彼は要するに決定論者であって、「偶然」というのは単にメチャクチャにランダムであるものとしか認識していなかったのだとわかりました。たぶん生成文法一派のやっていることや言動をみると今でもそういう認識なんだと思います。不特定多数が間違ったりしながらも使用する言語によって生成されるものの集成であるコーパス(=完全にめちゃくちゃでもないが正確に規則に従っているわけでもないもの)のありようを研究対象として捉えるということは、国家のような大規模な集団に属する人々のありようを管理することと極めて似ていて、そして後者に有効な手段は前者にも有効であると当然考えて良いはずなんですけどね。原著は The Taming of Chance (1990)。

デヴィッド・カンター (1996) 『心理捜査官 ロンドン殺人ファイル』草思社 ←重田(2003)で紹介されていた英国のプロファイラー David Canter の著書です。邦訳が出ているのはこれだけなんじゃないでしょうか。一般向けなのでこのタイトルでもしかたないのかもしれませんが、中身はFBI系の読み物とは大分違います。簡単にではありますが、統計学の考えかたをどう使ったかも説明されています。逆に言うと常軌を逸した猟奇殺人犯の話が読みたくてこの本を手にとった人は相当がっかりしたんじゃないかと。原著は Criminal Shadows(1994)。

田村雅幸・高村茂・桐生正幸 (2000) 『プロファイリングとは何か』立花書房 ←日本の警察ではデビッド・カンター式のプロファイリング手法についてかなり早い時期から導入・研究が行なわれていたようです。この本では特に2章3節(執筆担当:岩見広一)で「リバプール式のプロファイリング」という標題で解説しています。この部分の直後に Topics4 (執筆担当:田村雅幸・稲垣睦子)というのがあって「多変量解析」について説明していますが、リバプール式の「強姦犯の犯行テーマ」を数量化III類といってます。だけどカンターの手法は多次元尺度構成法を使っているのだから数量化IV類なんじゃないんですかね。わかりませんけども。あとカンター自身も日本に住んでいたことがあるらしく、2000年9月にも来日するなど関係はそれなりに深い模様です。

・・・というわけで、案外メモしてみると手間なので今日はこのあたりで。いちいち何かひとこと言いたくなるのがいけないんですかね。そんな感じで。

January 2010

January 24 Sunday 2010

■クラーク博士と山田孝雄

クラーク博士の有名な「Boys be ambitious.」というセリフには実は続きがあります。でも、続き部分はなんか訳し難いというか、すっきりしないのであまり引用されないんでしょう。

とりあえずクラーク博士の発言後半は加島祥造『英語名言集』(p.53)などに載ってます。引用するとこんな感じです。

Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandisement, nor for that evanescent thing which men call fame... Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.

金銭や我欲、名声なんかじゃなくて「attainment of all that a man ought to be」っていってます。このあたりを加島祥造訳では「人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成し遂げるために大志をもて」としてますけど、なんともかんとも。良い事いってるんですけど歯切れ悪いですよね。

ところが意外な人がまるでクラーク発言の邦訳のようなことを書いていたのを発見しました。国語学者山田孝雄先生なんですけど、こんな風に言ってます。

余が目的は爵禄栄利を求めるのではない。唯、人間として当然の道を尽くすにあるのみ。

「人間として当然の道を尽くす」というのが具体的にどういうことなのか、については引用元の『山田孝雄 共同体の国学の夢』(p.20)で著者の滝浦真人先生が分析なさってます。山田家→日本→世界(最優先は山田家)のために頑張るみたいなことだったような気がしますけど、でもそれはちょっと留保が必要かもしれない、とも思います。元ネタである『立志時代』(畢生の目的 pp.121-132 明治34年)をはじめ、山田孝雄の著書を隅々まで読み込んでる方の分析についてアレコレいう立場にはないんですけど、ただやっぱり武家に生まれた人の意識みたいなことについてはあんまり御存知ないかもしれなくて、そういう点でちょっとしたズレみたいなのはあるんじゃないかと。

とはいえ、私も別にそちらの方面に関して特に詳しいわけではないのでなんとも覚束ないのですが。でも一応話題にしてしまったのでボンヤリと語ってみますか。

■三島由紀夫の誤読

ええと、まずは「武士道は死ぬことと云々」ってのがあるじゃないですか。『葉隠』の有名なフレーズですね。これに関しては世間一般では全く意味を取り違っていて、そしてこれもよくあることですけど、原典にあたらないで適当なことをいう人が後を絶ちません。たとえば三島由紀夫なんかがこの取り違った方の意味で『葉隠』批判のようなことをしゃべっている映像を見たことがあります。

『葉隠』の著者は、いつでも武士というものはイチかバチかの選択のときには死ぬ方を先に選ばなきゃいけないということを、口を酸っぱくして説きましたけれども、著者自身は長生きして畳の上で死んだのであります。そういう風に武士でもあっても、結局死ぬチャンスがつかめないで、死ということを心の中に描きながら生きていった。そういうことで、仕事をやっていますときに、なんか生の倦怠といいますか、ただ人間が自分のためだけに生きようということには卑しいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。人間の生命というのは不思議なもんで、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬほど人間は強くないんです。というのは、人間というのは理想なり、何かのためということを考えてるんで、生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。すると死ぬのも何かのためということが必ず出て来る。それが昔言われた大義というものです。そして大義のために死ぬことが人間にとってもっとも華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だと考えられていた。しかし、今は大義がない。これは民主主義の政治形態なんてものは大義がいらない政治形態ですから、当然なんですが、それでも心の中に自分を越える価値が認められなければ、生きていることさえ無意味となるような、心理状態がないわけではない。

「イチかバチかの選択のときには死ぬ方を先に選ばなきゃいけない」って三島は言ってますけど、『葉隠』ではこれは比喩的に言われていることですし、ちょっとニュアンスも違います。「(自分が所属している共同体にとって)イチかバチかの選択の(必要があってそれを任された)ときには(自分にとって好ましい選択肢を選びたいけどその逆の自分にとって好ましくないという意味で)死ぬ方を(選べば正解である可能性が高いからそちらを)選ばなきゃいけない」ってことなんですよね。

人間は能力が高い人もそうじゃない人も皆必ず間違いを犯す、という認識がまずあります。そして「なぜ人間は必ず間違いを犯すのだろう?」という問いをたてて「よりよく生きたいと思っているからじゃないか」という答えを見つけます。よりよく生きたいと思っているから色々な欲(金銭、名誉etc...)があって、それを叶える選択肢を好ましく思い、そうじゃないのを選びたくないと感じてしまうわけです。でも逆に考えると、判断の難しい選択肢があったとき、自分にとって好ましい結果をもたらしそうな選択肢の方には無意識にゲタを履かせてしまっている可能性が高いとわかっているわけですから、同程度に正しく見えたときには自分にとって好ましくない方、つまり「自分が死ぬ」=「自分を殺す」選択肢の方が正解の可能性が高いわけです。

これが「死ぬこと」であって、武士道の奥義(?)ですね。いざというときに迷いなく自分を「殺す」選択を訓練と習慣の力で成し遂げられるように鍛え上げられた人達...が武士なわけです。ですから「死ぬこと」っていうのは単に肉体的に死ぬことじゃないんですよね。人間だったら、というか生物だったら当然備えている本質的な欲求に、ここぞという場面で平然と逆らうことが可能な存在...肉体的には生きているけれども生物の持つ欲求に従わないという点では死んでいるような存在というのは、たぶんゾンビなんかの真逆ってことなのでしょう。あれは肉体的には死んでいるのに生前の欲求はより強力な形で持ち続けていますよね。そしてゾンビがモンスターであるようにサムライもまたモンスターなんですよ。地味でわかりにくいですけど。

そして三島が武士道を全く理解していないなあ、と強く感じさせるのが「大義」云々の部分です。「大義のために華々しく英雄的に立派に死にたい」などというのは、どうみても selfish な願望の吐露にしかみえません。こんなのはうぬぼれが強く打算的な態度とみなされます。真のサムライなら「犬死に」さえ恐れないわけですよ。山本常朝が大過なく長生きして大往生した...というのは、彼が語った通りに生きたってだけで何も矛盾してないし、立派なものだと思います。三島だけじゃないですが、おそらく世間がイメージし、また流通している武士像と、実際の彼らの哲学(?)というか行動原理みたいなものは真反対といってもいいぐらい違うんじゃないでしょうか。

ヤクザ渡世人みたいなのと混同しているんですかね。

■ここぞのときの行動

山田孝雄の話から遠くなってしまいましたが...。

ええと、ですね、私は「サムライ」意識を持っていたであろう人達の「ここぞ」のときの行動に若干感動を覚えることがあります。それが普通の基準で良い事なのか悪い事なのかは別にしてですけど。

前述の滝浦先生の著作を読んで初めて知ったのですが、山田孝雄先生は戦後に公職追放されていた時期があるんですね。国語学者が何やったらそんなことになるんだ?と思ったら、その理由がまたすごい。国史編修院長をやったからだそうなんですよ。1945年に8月17日に発足したとかいう国史編修院長を引き受けるって、もうこれは覚悟の上としか思えません。普通の人間なら口を拭って逃げ隠れする時期にコレですもの。結局、進駐軍の教育行政への介入には抗し切れなくて「自ら信ずる正しい道によりて進退せねばならぬ」として辞任してから国史編修院は機能停止の後、翌年廃止されてるようですけど。

これが「死ぬこと」なんだろうなあ、と。下手すれば肉体的にも死んでいたかもしれませんけど。世俗の凡人(たとえば私:笑)からみますと「北畠氏の遺臣」である「三百年来の」山田家の再興を第一とするにしては無茶な選択と思えますが、たぶんそれが「人間としての当然の道」だったんでしょうね。滝浦先生の御指摘通り「山田家の名を天下に...」という意識ではいるんでしょうけど、それはドサクサに紛れて上手く立ち回ってのし上がる、みたいなのとは全然次元が違う種類のものだと考えざるを得ません。

で、ついでといっては何ですが、新渡戸稲造先生などもやはり「ここぞ」というときに思いっきり自分が損する行動をとっていますよね。どうも先祖代々かなりその傾向の強い一族のようですけど。藩の偉いさんたちに諌言して処罰を受けるというようなことを代々やっていたようですが、これも「死ぬこと」を選択するような、「猫の首に鈴をつける必要があるがそれを自分がやると死んでしまうから他人がやってくれるといいんだけどなー」という状況でまっさきに鈴をもって猫につっこんでいくよう訓練されている一族だったのだなあ、すごいなあ、と思います。

■無能だが信頼されるとは?

ところで新渡戸稲造先生や山田孝雄先生はそれぞれ御自身の専門ですぐれた業績を残した方々で、つまり優秀な方々だったので逆に目立たないのですけど、上述してきた武士道の奥義といいますか、サムライ化することの有効性というのは、無能であってさえ正しい選択肢に辿り着ける可能性が高くなる点にこそあるようなんですよね、実は。

この点が顕著に現れた方というと、乃木希典将軍じゃないでしょうか。最近、テレビドラマで『坂の上の雲』をやっているそうで、司馬遼太郎のこの著書では乃木希典将軍は無能の極みのように糾弾されているとかいう噂を聞いたのですけど、そうなんでしょうか?(←読んでから言えよ!)

乃木将軍無能説というのはかなり根強くあるようで、たぶんそういう主張をされている方々は十分な根拠をもって非難(?)しているのだとは思うのですけど、一方で昭和天皇をはじめ乃木将軍をすばらしい(印象深い?)人物であったと評す方々もいるわけですよ。ところで、これは一方が正しくて、もう一方が間違っているというような議論の題材なんでしょうかね。

あんまり事情を知らないでいうのもなんですけど、たぶん乃木将軍は軍事の専門家としては優秀ではなかったんじゃないかな、と思います。西南戦争で連隊旗を取られたとか、二百三高地を落とすときに陸軍の兵隊を死なせまくってついに近衛師団まで投入したとか、味方の歩兵が突撃している最中に砲撃したとか、軍用馬の去勢に反対したとか、あと直接は関係してないのかもしれないですが海軍では効果有りとされていた食事療法による脚気改善をやらなかったとかとかとか。

でも恐るべき事に、西南戦争も官軍勝利で終ったし、日露戦争もギリギリの状態だけれど勝ったわけです。勝ち負けでいったら一応勝ってはいるんですね。「勝利する」という絶対クリアしなくてはいけない目標だけはなんとか達成してるんですよ。

これがもし有能だけれどサムライ化してない人間がトップだったとしたら、旅順要塞は落とせなかった可能性が案外高くて、結果的に日本は「勝った」という形であの戦争を終えることができなかったりしたのではないだろうか、と考えたりします。有能な軍人なら味方がほぼ全滅するような作戦は立てないでしょうし、たとえ勝てそうでも被害が大きすぎて批判されそうだと判断したら、どうやって責任逃れするかを第一に考えて腰が引けてしまうんじゃないでしょうか。まして自分の息子達をとても成功しそうにない突撃に参加させて、他の兵士たちが死んでいくのと同じように馬鹿正直に全員死なせるなんてことはしないんじゃないかと思います。なんとか理由をつけて(せめて一人ぐらいは)生かそうとするんじゃないかと。日本が戦争に負けることよりも家族の命や子孫のことを第一に考えて、よりよく生きたいと思うんじゃないですかね。

軍事的には無能である疑いが強い乃木将軍が、跡継ぎを全て失うだとか、多くの人命を無駄に死なせた責任をすべて被る、といった過酷な不利益にさえ全く怯まず「死ぬこと」の選択肢を重ねて行くことで、最終的には期待された結果に(能力の不足で尋常でない損害は出すものの)毎回到達しているところがすごいんじゃないかと。これで有能だったらもっと生きていることが辛くなかったのかもなあ、と同情しますけどね。亡くなったときにも「連隊旗」のことを気にしていたようですが、それは軍事面での才能が無かったことの、ある種象徴的なものだったんじゃないでしょうか。才能がないのに重大な職務を遂行しなければならないことで常人には与り知れない苦しみを味わってきて、そういうのは自分で最後にしようとして乃木家を完全に断絶させたのかもしれません。

そして、こういうことは東大阪出身の司馬遼太郎にはわからないのだろうな、と思います。武家文化がわからないというよりは認める気はない、ってことかもしれないけれど。新撰組とか坂本龍馬とかに好意的だったというのは(ファンも多いからアレですけど)彼らが上記のサムライ化した人達と程遠い人間だったからなんじゃないかな。欲に忠実な人間はわかりやすいというか語りやすいんでしょうね。

■小供の時から損ばかりしている

乃木将軍の死を重要な題材に使った作品というと夏目漱石の『こころ』がまず思い浮かびます。が、漱石の作品では『坊ちゃん』にサムライといいますか、武士道ネタが直接的な形で含まれているように私には思えますので、ここではそれについて語ってみます。

冒頭で「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」と書いてますけど、読み進んでも「親譲り」なせいで「無鉄砲」なようには読めません。親兄弟は全然無鉄砲じゃないんですね。そのわりにはしつこく「親譲りの無鉄砲」って何度も書いてますけど。ただ下女の清が「あなたは真っ直でよいご気性だ」と褒める性格をしていて、そのせいで方々で軋轢を起し、結果いつも損をしているという人なだけです。

また「おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない」ともいっていて、この点も清に「あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云って」褒められています。兎に角親兄弟をはじめ世間は彼を全く評価しないけれども、下女の清だけが異様に高評価をしているわけです。そしてこの清という人は「元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない」という出自と書いてあるので、たぶん武家文化に属する人、そして老人ですから特にその(明治以前からある)規範を内面化した人物であると推察できます。

大昔に読んだときには「損ばかりしている」ということが何か特別な意味を持つとは全く思っていなかったんですけど、漱石自身の出自のことなども考えますと、これは「死ぬこと」の選択を重ねているっていうことなのかな、と思えてきます。小さくて地味で価値のない、そういう側面でのことばかりですけれども。

でもこんな「坊ちゃん」さんでも、やはり肝心な選択では間違えなかったと描かれています。『坊ちゃん』の最後はこんな風です。

 清の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。  その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。

「街鉄の技手」っていうのは「東京市街鉄道」という市電の現場での技術職ということだと思います。どうもこのラストの部分を「坊ちゃん」が落ちぶれちゃったといいますか、作品冒頭で清が予言したような立身出世に結びつかなかったことを「あれれ...」と不満に思う向きもあるようで、実は街鉄が当時の人気職だったのだ、とか色々言う人もあるようです。

どういう風に読んでも人の勝手だと思うので、それならそれで良いのですけど、このラストは別に挫折したとかしょぼいとか、そういうものではないでしょう。普通の価値観といいますか「快男児の活躍譚」として読もうとするからムリがあるのであって、もともとそういう話じゃないと考えると辻褄が合います。

「坊ちゃん」さんは「余が目的は爵禄栄利を求めるのではない。唯、人間として当然の道を尽くすにあるのみ」を実践して清さんとの約束を果たしたのだから何も問題はないんですよ。これもまたサムライ化の一形態で、清さんの見立ては正しかったってことになってメデタシメデタシな完璧なるハッピーエンドとしか言いようが無い...凡俗にはわかりにくいんですけどね(笑)。

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